目覚まし時計とホテルの地図。
目覚ましはカッパドキアで気付いた。
地図は成田で思い出したので慌てて画像を保存。
スマホって本当に便利ですね。
さて、イスタンブールは主に下記のように旧市街と新市街の二つにメインが分かれています。
Aというポイントがスルタンアフメットと呼ばれる界隈です。
詳細地図。
新市街のタクシム広場は今年の6月に暴動があった場所なので皆様にはなじみ深いかと思います。
私が泊まったのは旧市街の右下、アヤソフィアとブルーモスクという二大寺院がある界隈。
「スルタンアフメット」です。
(この地図一番下の「レストラン」ってちょっとウケました)
トルコに行く前に「トルコは中東か欧州か」という疑問を抱いていたのを覚えてらっしゃる方がいるかどうか分かりませんが、帰って来てこのブログのカテゴリーを迷わず「中東」にしたのには理由があります。それは、イスタンブールに降り立った瞬間に危険センサーが点灯したからです。それは、悪い人がウジャウジャいるとかそういったのではなくて、アラブ顔をした人たちがたくさんいることに自動反応してしまうというか、ローマのテルミニ駅に着いた時のあの懐かしい感覚とよく似ています。
「深い意味はないけど条件反射として身構えてしまう」という質が欧州とはちょっと違う。
だから、個人的に中東として分類させてもらいました。
ただ、到着した日はすっかり夜も暮れていたのですが思ったほど危なくなかったです。
観光客も多かったし夜でも十分賑やかだったし。
着いた当日の夜のことはなぜか記憶が欠落しているので割愛。
翌日の朝からスタートです。
ホテル外観。
スルタンアフメット界隈は世界中からの観光客がやってくるところ。
フォーシーズンズが一番ベストなポジションに建っていて、その周りはこのように色とりどりの安宿が軒を連ねます。旧市街といっても建物は立派にリノベーションされています。
意外と街がきれいです。
花壇をベットだと思っているネコ。
パン屋さん。
トルコのパンはとても評判がいいようなのですが。
すみません、やっぱりフランスにはかないません。
ちなみにトルコのパンは塩気がちょっと少なくて割とやわらかいです。
コッペパンとまではいきませんが、ああいう感じの無味な感じ(という印象を受けました。全部制覇したわけじゃないから分からないけど)。
これは名物のゴマ付き丸形パンを売る屋台。
これ見たときなんかはイスタンブールに来たという実感が湧きました。
スルタンアフメットには、ホテル、おみやげやさん、レストラン、グロッサリー、バーなどがひしめいていて、夜になるととても楽しい空間になりますが、昼間みてもかわいらしいでしょう?
トルコも日本みたいに靴を脱いで家にあがる習慣が一部あるようで、客間とかは大体そうらしいです。
そんな習慣をコンセプトにしたバーがありました。トルコ絨毯とオリエンタルな柄や素材のクッションで埋め尽くされたフロアには天井から垂れるトルコランプの灯りがぼんやりと揺れて、そこで食事をしたりお酒を飲むのです。とてもおしゃれなお店で入ってみたかったのですが1人はさすがに無理でした。通る度にいつも人で賑わっていました(前面ガラス張りなので外から丸見えなのです)。さすがに見世物小屋じゃあるまいし、写真は遠慮させて頂きました。
聞き慣れないトルコ語はなかなか名称を覚えられません。
カッパドキアで会った、あの親切なエミレーツ航空の韓国人スッチーからもらった情報がここで大いに役立ちます。これは気球に乗る前に、彼女が私に教えてくれたブルーモスクの入場時間。ガイドブックには載っていないので貴重な情報です。「見学するなら夕方が絶対おすすめよ」と言ってました。
(これを写メ撮っておきなさい、と言われて言われるがままに撮った画像↓)
とりあえずどんなもんかを視察にいくことにします。
ブルーモスクまでは徒歩でもものの5分。
いいとこにホテル取ったなあ。
ブルーモスク。
あれ?
昨日の夜スーツケース引きずって通ったところだ!
(昨日の夜の画像)
ちなみに反対側はアヤソフィア。二つの大きな寺院は向かい合わせに建っています。
これも昨日の夜の画像。
イスタンブールってこういうモスクがわりと建ってるんで、最初どれがなんだか分かりませんでした。
ブルーモスクのお庭を抜けて中庭のほうへ行ってみます。
支柱が美しいです。
過去記事「コルドバ~モスクと花の小道」(別に読まなくていいです)
さて、内部入り口はどこかしらと探していると、1人のトルコ人が声をかけてくる。
うっとおしいので適当にあしらうもしつこい。
こういうのは徹底的に無視するのが一番。
「ブルーモスクは午後の方が空いてるから待ち時間も少なくてゆっくりみれるよ」
なるほど。
じゃあ出直ししようっと。
これがあとで致命的な判断ミスになることは知る由もなく・・・。
インフォメーションセンターに地図をもらいにいくところまでトルコ人はついて来ました。
なんとか振り切って市内観光に出かけることに。
これはスルタンアフメットのトラムの駅。
だから毎日何度もこの広場を歩きました。
すると1人の謎の老人が近寄って来ます。
「オレの甥が日本語を勉強しているんだ。オレと違って頭がいい奴だからよかったらちょっと会話してもらえないかね」と言われる。すると1人の若者が近寄って来て流暢な日本語で話し始める。年は19歳で大学生なんだそう。
すると老人、「どうだね、ちょっとお茶でも飲んでいかんかね」と言う。
ありがとうございます。だけどこれから市内観光に出かけるので時間がありません、と言うと
「トルコでお茶に誘われるということは、この友情が300年も続くという親切心の証だ。それを断るなんていうのは無礼なことなんじゃぞ」と。
たちまち危険センサーが点滅します。
だけど・・・・
だけど・・・・
私、実は老人に弱いのです。
知ってましたか?(知らないですよね)
かくして囚われの身となった私は2人に付き添われて「ほんの一杯のお茶だけだから」と促されるようにして連れて行かれます。
まさかまさかまさか・・・・とは思ったけどやっぱりそうでしたーーーーっ!!!!!
ついた先は・・・・・
絨毯屋。
ここに「もっと日本語が堪能な従兄」がいるそうなのですがあいにく別の観光客の接客中。
はあ~あいにく接客中で助かったよ、と思いました。
私がお店に入って行くとその従兄やらの目がキラリと光ってましたもん。
従兄の「あいにく接客中」の間に、19歳からチャイが振る舞われました。
飲むかどうかかなり躊躇しましたが、思い切って飲みました。
眠り薬もシビレ薬もドラックも入ってませんでした。
トルコはこのようにチャイを振る舞う習慣があるようです。
それは日本と似ていて、お客様がいらしたらお茶(煎茶とかほうじ茶とか)を出して差し上げるのと一緒で、何かをもてなすことが当たり前という感覚のようです。特にこういうサービス業においては「いらっしゃいませ=チャイ」というならわしのようでした。
また、押し売り絨毯屋さんはイスタンブールの風物詩。私は断固断る自信がありますから全然平気ですが、こういう押し売りをきっぱり断れない人は行っちゃいけない場所ですね。しかもそこの甥がちょっとエロかったです。女好きは老いも若きも変わりないようで。
危険センサーも大分解除されたし時間もないのでお店を出ることにする。
チャイをごちそう様、また機会があれば立ち寄りますと別れを告げて市内観光に戻ります。
イスタンブールの町並みは大小さまざまな道が蛇行していて、通りの名前もあったりなかったりなので地図が全く役に立たない。なんとなく、の勘頼みで歩きます。
途中こんなすてきなカフェを発見。
こういうのを見るとヨーロピアンな印象がありますね。
たまたま偶然たどり着いたこの界隈が、あまりにもポップでかわいいです。
イスタンブールの印象変わりません?
なんとなくだけど。
ここ、日本のガイドブックには必ずや載っているといっても過言ではないホテルです。
キベレホテル(クリックすると大ボリュームで悲しげな音楽が流れるので気をつけて)
見てる分にはいいけど、個人的にはあまり泊まりたくないなあ。落ち着かなくて。
トルコ絨毯以外にも有名な民芸品の一つ、キリム。
さらに適当に歩いて行くと、トラムのある大通りに戻る。
トルコというのはとにかく緑と花の多い国です。
これは焼きぐり屋さん、井戸端会議中。
その裏にあった墓地。
すごく変わってる!
むき出しの棺の上に支柱が立っている。
これはどなたのか分かりませんがどなたかのお墓。
明らかにさっきのお墓とは様子が違います。
火葬と土葬の違いなのかな。
(イスラムは土葬がメインだそうです)
墓地と言っても日本のようなおそろしい感じではなく、バラや木立に囲まれた美しい霊園でした。
海外と日本はそういうところが全く異なりますね。
そして街で見かけたおじいさん。
栗坊やみたいな毛糸帽がかわいくてたまりません。
イスタンブールだけにとどまらず、トルコは人口が多い印象があります。
老人も多いけど若い人も多い。
トルコはずっと前からEU加盟国として世界に認めてもらいたい一心で先進国化しようと努めてきましたが、実際はこのような光景が本来の姿なんじゃないだろうかと思って撮った写真です。どことなく、古き日本の昭和の光景のような気がしてなりません。時代の変化についていくことだけが国の発展とは限らないですよね。
朝は曇っていたイスタンブールも、お昼過ぎにはおひさまが。
ネコもごらんの通りひなたぼっこ。
無防備すぎてむちゃくちゃかわいい。
ネコの寝ている時の目と、朝青龍の目、全く同じでビックリ。