ここを登ります。
(お気に入りの風景)
あっという間に広場に出てしまった。
近道すぎてびっくり。
でましたよ。
アイスのことをトルコでは「ドンドゥルマ」というらしい。
バナナ、ラズベリーのあとがなぜかいきなりイタリア語になってて小笑い。
こういうアイス屋さん、カッパドキアにはいたるところで見かけたけど挑戦せず。
だってこの手の売り子のおじさん、目が合ったが最後、絶対しつこいに決まってる。
めんどくさいのやだからこの写真も奴が後ろを振り返ったタイミングを見計らって撮りました。
でました。
色気のない置き物。
2個で5トルコリラ(250円)で売ってます。
他のどこよりも安かったけど、大きくてかさばる上に、例のアヴァノス焼き風で出来てるからすぐ割れそうだし、ほぼ素焼きなのでちょっとねえ~。さすがの私もいりません。
ダサけりゃなんでもいいってわけじゃないのよ。
さあ、いざお城に行かん、というところで、気付くとある少女たちにさりげなく囲まれています。
年の頃は12歳か。
そのうちの1人が話しかけてくる。
「あの~あなたは日本人ですか」
はい、日本人ですというと、サングラスを取ってくれと言われたので仕方ないから取ってみせると、
「いや、ちょっと日本人っぽくない」と、いぶかしがる。
またか。
イメージと異なってすみませんね。
トルコに来る前にいろんな本を読んだのだけど、その中で子供達は日本人をみると寄ってたかって質問攻めにする、というコラムがあったのを思い出して、それがこれか!と思った。本の言う通りだ!
必死にいろんな質問をしてくるので、丁寧に答えてあげることに。
トルコにきて何がおいしかったか → ケバブ(実はまだこの時食べていなかったけど)
トルコが好きか → はい、とてもいいところだと思います
トルコは○○ → ちょっと何を言ってるのか意味不明だったので笑顔でお返し
すると記念写真を撮りたいと言われ、そこから大撮影会に突入。
一人一人と2ショットで写真を撮られたのだけど、これ結構恥ずかしい経験でした。
こうみえても私は時々恥ずかしがりやなのです(本当です)。
以前もこんな感じで子供に囲まれたことがあるけど、あれはモロッコの物乞いだった。
トルコの子供達はとても素直でかわいかった
ようやくつきました。
正確に言うとここはお城というか要塞とも呼ばれているらしいです。
むかし諍いごとがあるとこの洞穴に立てこもってドンパチしたらしい。
広場のおみやげ屋のトルコのお兄さんいわく、これも自然にできあがった造形だと言ってましたが、穴蔵掘ったのはどう考えても人の手だと思います。
入り口の手前にはドライフルーツやナッツを売る屋台がずらりと並び、暇そうにダレてました。
私には誰1人声をかけてきません。
だから何となく写真も撮りづらかったのでそのままお城の受付に行って入場料を払う。
お城の中に入ります。
進む。
外に出る。
わ~、鳩の家がいっぱい(小さい穴のこと)。
これが昨日ギョレメのビューポイントから見てなんだろうと思った塔。
コーランのながれる放送塔でした。
なんで分かるかというと、どこもその類いの塔のかたちは同じだからです。
年配の方はみんなゼイゼイしながら登って行きます。
本当に気の毒になります。
振り返るとこんな景色です。
こうやってみるとなんか遺跡に近いものがありますね、ウチヒサールは。
眼下に見える分岐点は、さっき私が歩いてきた道です。
ここでも階段登っている途中でハニカミ日本人大好きトルコガールに声をかけられました。
とびっきりの笑顔で私に興味津々。
とりあえず軽いトークで交わしてずんずん上に進む。
あっという間に着いちゃった。
ここが頂上です。
これはなんの意味があるのだろう。
ここのお城、トルコ人観光客が圧倒的に多い。
家族や友人カップルや遠足など。
遠足の男の子がやたらサッカースパイク履いているのが印象的でした。
ナイキ、アディダス、アシックス。
メンズもこうやって仲良しで写真撮り合っては都度カメラでチェック。
(かなりかっこつけて撮影してましたからねぇ~)
そして頂上には簡易カフェが併設してあって(こういう素朴なところもいい)、遠足の子供達は大騒ぎしながらそこで例のフレッシュオレンジジュースなどを飲んでました。
銀のポットには熱々のチャイが・・・。
ここはカッパドキアで一番標高の高い場所になると思います。
つまり、気球にちょっとだけ近い場所ってことでしょうか。
(つい5月の出来事なのに・・・もうすっかり昔のことのようになってきて悲しいです)
遠足のモンキー軍団もいなくなったので、お城を下ります。
さっきの遺跡のような町並みは私が歩いてきたところで、こっちは表側。
家の屋根がひしめいているので、多くの住人はこっちに住んでることがわかりますね。
あっちは立ち入り禁止みたいなんだけど、そういうところにこっそり行きたくなる気持ちを抑え。
あっちには行けそう。
でも残念ながらここより先は道がないから諦める。
それにしてもよく掘ったものですねえ。
これだけ掘るってことはそれだけ住む人がいたってことですから、カッパドキアの数千年前?は大国だったのでしょう。今回行きませんでしたが、カッパドキア郊外には巨大な地下都市というのがあって、そこを隠れ蓑にしていた歴史もあるのですからたいしたもんです。
人の知恵っていうのは現代の方ばかりが優れているのではなく、こういうことを始めた最初の方がよっぽど意義があるというか、そんな気がします。発見というのはなんにせよそんな感じです。
さて、ウチヒサールの観光、あとはメインストリートを歩いてギョレメに帰ることにします。
行商のおばあちゃんがいろんなものを売ってます。
力無さげに「手芸品いりませんかぁ~」と声をかけてくるので、なんかこう。。ビミョーです。
雨ざらしの絨毯、本当に手作りかどうかも怪しい手芸品。
これがカッパドキアの風景。
買ってあげることはできないけど、あたりまえの日常としてしっかり目に焼き付きました。
もう絶対二度と来ることはないと思う。
一生に一度、これっきり。
そう思うと離れるのも名残惜しい。
振り返って撮った、お城の最後の写真。
そのあとようやく観光地らしき街並になる。
レストラン、カフェ、おみやげ屋。
風車を吹いて軒先に座っていたおじさんのところでタンタンのご当地Tシャツを発見。
ちょっと値切ってみたら、「近頃はな!いいか?よく聞けおまえさんよ。ガス、電気、税金。生活をどんどん圧迫する値上がりばかりでこの世の中は一体どうなってるんだよ!」と、ウンチクたれ始めたので定価で買ってさっさと退散。
近くの旅行会社らしき事務所に入って、ギョレメまでのバスはどこから乗ればいい?と聞くと、バス停まで結構歩くからタクシーに乗った方がいい。20リラで連れていってあげると言われたので丁重にお断りし、バス停まで歩く。
かなり歩くことを覚悟していたのにものの15分程度で大通りに出る。
トルコ人の言う「結構かかる」はやっぱりあてにならない。
レッドツアーのガイドもそうだったけど、あと10分後に到着なんて言って、ものの5分で着く。
普通は15分くらいサバ読みするのが世の常なんですけどね。
不思議でした。
そこでバスを待つ。
アメリカ人の夫婦が疲れ切った様子でベンチに座っている。
さっき通りかかったバスを乗り過ごしてしまい、20分くらいそこで待っているのだそう。
ちょっとおしゃべりするも、奥さんの英語がよく分かりにくかったので辛かったです。
しばらく待ったところで、ボロボロの乗り合いバスがやってきて、それに乗る。
バス料金は他の人のをみているとどうも3リラみたいだったので回収に来た人に渡す。
ピジョンバレー、トゲに刺されまくった野原、ギョレメパノラマ豪華版、ギョレメパノラマハンサムじーさんおみやげ屋さんをバスはどんどん通り過ぎ、バスは一直線の道路をどんどん降りてあっという間にギョレメ市街地に着く。
本当はもう一カ所行ってみたい町があったのだけど、やはりアクセスが悪い上にバスは2時間に一本のペース。歩いて往復はもう無理だし諦めるしかない。
なのでその足で次の目的地までのチケットを買いに行く。
そう、カッパドキアはこの日が最終日なのです。
ついにお別れの時がやってきました。