ゴッホがパリの喧騒を離れて南仏の町、アルルで創作活動を始めた後、当時仲の良かったゴーギャンがパリからやってきて、2人の画家の共同生活が始まる。しかし、その後あの「耳切り事件」が勃発し、ゴーギャンはゴッホの元を去り、やがて彼は精神病院に入れられた。
その後オーベル・シュル・オワーズに住まいをかえた後にピストル自殺してしまうのは有名な話。
で、話を元に戻すと、ゴッホはゴーギャンの才能を高くかっていて、尊敬に値するほどの画家仲間だったから、アルルにくることはこの上ない喜びであり、弟テオに仕送りまでしてもらってゴーギャン専用の椅子を買ったのだった。
仲の良い2人はよく同じ風景を描いたそうなのだけど、この比較がまたおもしろい。
ある秋の晴れた日の農作業の風景。
ゴッホならこう描く。
対して、ゴーギャンはこう描く。
同じ風景でも、2人が焦点とするものが全く異なるのがよく分かる。
つくづくゴーギャンは宗教的な精神世界を感じる。
ゴッホは彼の手法をとても尊敬していたし、憧れてもいたから、その敬意を込めてある絵を描いた。
それは「ゴーギャンの椅子」。
彼がアルルに来る前に彼の為にかった椅子をモチーフに、本来白かった壁をグリーンに塗り、木製の床をカーペット仕立てに描いたのはゴーギャンの影響とも言われているそう。
この、力強く前面に描かれた椅子の存在感を彼はゴーギャンの自画像として描いたらしい(!)。
そして対になるように、自分自身の椅子を描いた。
それは、ゴーギャンのとは打って変わって質素でこじんまりとしている。
そんなエピソードを知って、ああだからゴッホが好きなんだなって思った。
印象画家といえば当時は花形職業であったし、育ちのいいエリートや文化人がこぞってサークルを作って活動しお互いを刺激しあった時代。でも、オランダうまれの素朴で貧しいゴッホはその輪になじむことができず、人知れず孤独と寄り添うように生きていく。
この絵の比較からいってもそうだけど、彼が自分に期待すること、求めるもの、ありたいもの。そんな大義名分なんかなかったんじゃないかなって。カラフルで大胆なんだけど、どこか控えめなゴッホがいるような気がして。賞を取りたいとか著名になってパリで成功したいなどという出世欲もない。肩の力を抜いたごく当たり前の日常風景が彼の生き方そのもののようなな雰囲気がどこかに漂っている。
だから好きなのかも。
そんな気がした。