モネがどれだけすばらしいかが分かるだけでなく、ベアト・モリゾの存在を教えてくれた、忘れられない場所。
さ、出発しますよ。
(前にも紹介しましたが、これはパリ滞在中に寝泊まりした短期貸しアパートです)
メトロに乗ってゆらゆらと。
2番に乗ると地下から地上に上がって行くので、このように車窓からエッフェル塔がみえます。
ワクワクするんですよ。
マルモッタン美術館にいく道中は大きな公園になっていて、そこの景色もなごみます。
ここに来る時はいつも紅葉の季節。
もうすっかりおなじみの標識。
バッハみたいな人が動物とたわむれている銅像。
ここからエッフェル塔もみえます。
ヨーロッパにはこのように至る所に手洗い場があります。
アイス食べ歩いたりして手を洗いたくなった時に便利です。
海の帰りにビーサンや足にしつこくついた砂を落とすにも便利です。
(イタリアはそのようにして活用してました)
アンティークで味のある手洗い場。
紅葉っていいです。
大好きです。
紅葉を歩くって、幸せの風景のようなきがしませんか。
あ、そんなふうに思うのはこないだみた「恋人達の予感」をかなり引きずっているからに違いない!!
だめね。そんなんじゃだめ。
でもあっちはニューヨークよ。
セントラルバーク。
オータム・イン・ニューヨーク。
秋もきれいなのかな。
見えてきました。
あれがマルモッタン美術館です。
もともとマルモッタンさんというお金持ちの貴族だかの邸宅だったんです。
その人が持っていたコレクションをもとに美術館になったんです。
ああ!
今日から特別展をやっているようです。
なんてラッキー。
初日だったので開館前から行列でした。
前に並んでる人がアメリカ方面にお住まいの日本人のオバさまで、後ろに並んでるドイツ人のおばさまとしきりにおしゃべりをしていました。その時は北朝鮮の核問題の話に(ドイツ人の方が)熱があがり、20分くらい延々と話しておられました。ややこしいことに巻き込まれないように、「私はどこかのアジア人で、ニホンジンデハアリマセン」というふりをしていました。
ここでまた長い時間絵画を鑑賞。
何度もみた絵でもそれなりに趣があって、当時感じたものと今回感じるものが必ずしも一緒とは限らないから。
感受性とかいうのは、移ろいでいくもののようで。
子供の頃、本当に絵が好きだった。
うちは共働きだったので、幼稚園のお迎えにはなかなかきてもらえず、いつも一番最後まで待っていました。だけど、結局仕事が忙しかったので迎えにはこれず、幼稚園の先生に呼んでもらったタクシーで家まで帰ったんです。4歳とか5歳の時です。でもその過去を不憫に思ったことなんてありません。幼稚園の玄関で、来るはずもない親を涙しながら待っていたわけではなく、幼稚園にある絵本を玄関のすのこの上に座りながら片っ端から読んだんです。誰もいない、邪魔されない読書タイムだったんですね。だから、家に帰って父親に同じ本が欲しいとおねだりして買ってもらいました。父はそこはとても理解のある人だったので、本は惜しみなく読みなさいと言っていつもお金をくれました。かくして、私は小学校にあがる前に本屋で本を買っていたのです。
その頃からずっと本に取り付かれてひたすら読んだし、ぬり絵をぬりつぶしてつぶしてつぶしまくって新しいのを買ってもらうのが楽しみで仕方がなかった。実際に自分で描いたりもしました。でも、周りにもっとうまい人がいたので自分に自信がなくて、いつからか描くことには興味を失ってしまった。だけど、また絵にたどり着いて気付いたらイタリアに行ったんです。だから私と絵はずっとつながってる見えないヘソの緒みたいな関係です。絵の傾向は歳を重ねるごとにいろいろ変化しましたけどね。
マルモッタン、いいなあ~。
またパリに行っても必ずまた行きますよ。
私にしたら先祖の墓みたいなものですから。
私にはきっとここで暮らすこともできないだろうし、実現することもないとは思うけど、そのかわり毎回来ることくらいは許されるんじゃないかなって思うんです。
かなわいない、ささやかな夢の名残を楽しみとして。
次にパリに行くのはいつなんだろうな。
その頃、自分は何をやっているのだろう。
そんな遠い未来にはしたくないな。
だから今やれることは全部かたっぱしからやってやろ。