駅を降りて家路に着く途中に、居酒屋やスナックや小さなバーが並ぶ裏通りがあって、そこは家までのわずかな近道なのでよく通る。私が家に帰るのはいつも夜がとても遅いのだけど、幸いうちの近所は夜でも明るいので危険もないし、この飲み屋街のあたりだけは遅くてもまだ騒がしくて明かりがこうこうとついているからついそちらを歩きたくなるというのもある。呼び込みのお兄さんとかもいるし、昔からある小さなカウンターだけの狭い居酒屋からはカラオケの声も聞こえることもある。今にも潰れそうな不動産やには「とりあえず置きました」程度のPCが古いデスクの上に置いてあり、他は台帳などが散乱していて汚れた応接セットが所狭しと置いてある。年輩の洗練されていないママがいるようなスナックの軒先は、いつも手入れされた花が植えてある。どうもごちゃごちゃした彩りが好みじゃないのか、黄色なら黄色、白なら白しか植えないという流儀を徹底している節がある。通りはごみひとつ落ちていなくていつも清潔だ。何となく、それぞれの個性をもったそれぞれのお店がうまく調和しつつ秩序を保って存在しているような感じがしてとても印象がいい。
そんな繁華街の中のカウンターだけの小さな居酒屋が軒を連ねているその電柱の上には薄暗い街頭がついていて、そしてその横に申し訳なさそうに一台の小さなスピーカーがついている。
そのスピーカーからは、ごくたまに、なんとも場にそぐわないBGMが流れている。
演歌じゃないし、ポップスでも童謡なんかでもない。
それはアヴェ・マリアの時もあれば、ラフマニノフのパガニーニだったり、ヘレン・メリルだったり、時にはコルトレーンの「My Favorite Things」なんかが聴こえる時もあってビックリすることもある。アート・ブレイキーじゃないところがいい。
レパートリーはさほどないので大体これらの曲を回転しているだけけなのだが、深夜に程近い時間にお腹が減ることすら忘れかけてぐったりした足取りで家に帰る途中、いつものキャバクラを通りスナックを抜けお世辞にも上手とはいえないカラオケを聴きながら呼び込みのお兄さんの脇を通り抜けると、ひっそりと静かにヘレン・メリルの声がどこからともなく聴こえる時などは本当に癒される。
そういう非日常的な偶然はけっして嫌いじゃない。
冬はクリスマスソングが流れたりもする。
音のする方向を見上げると、街頭が舞う雪を照らしていることもある。
こんなことに気付いている人はおそらくほんのひとにぎりなんじゃないかと思う。
私はその瞬間に一日の全ての疲れがどっと流れていくような気持ちになるから
その小さな偶然に出会えるととても嬉しいから、そのさびれた繁華街のある裏路地を歩くのが好きだ。
いつかここを離れる時が来る日が来たとしたら、きっとこの路地をとても恋しく思うのだろうと、
つい先の未来から過去を振り返る自分の事まで想像してしまうのだった。