世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

生粋の渡り鳥

ローマ・インでの一週間と少しの時間に、えりさんやジョヴァンニにはすっかりお世話になった。
滞在許可証を取りに行った時に出会ったミエさんもそう。ほんのわずかの間にどんどんローマに友人が増えていくのは、単身で渡った私としてはとても心強いものだった。
 
ローマインにはもう一人他に特筆すべき人物がいる。
 
まるで深夜特急沢木耕太郎のごとく、香港からインドに渡り、イタリアに流れ着いた渡り鳥のようなバックパッカーのカズさんだ。もう3年もそういう生活をしていると、風貌は日本人でも精神は自然と外人になってくるもので、いたってマイペースな生活をしていた。インドでサイババに衝撃を受けて、毎朝瞑想を済ませないとけして部屋から出てこない。瞑想中はいくら呼んでも扉をたたいても絶対に返事はしないから、どうしても用事のあるときは部屋のドアのすきまに用件を書いたメモを入れておく。彼はローマインの物置部屋みたいなところ(本人は全く気にしていない)に住み着いていて、エリさんとはそりが合わない。ローマインに滞在するお客さんと時々話してはいろんな情報なりを得て、出たり入ったりする宿泊者のかたわらで、テレビもラジオもミニキッチンない部屋にひっそりと、だけど彼なりに満足して暮らしているように見えた。普段はあまり食事もせず、お酒もタバコもやらない(たまに大麻くらいはやってたらしい)。普段は長髪もヒゲもボウボウで布を腰に巻いてまるでホームレスのごとく裸足でペタペタ歩いているのだが、昼間はタキシードを着て仕事に出かけることも多かった。彼の勤める店はタキシードに蝶ネクタイが必須だったのだ。私がアパートに引越したその後もよくローマインに遊びに行ったものだが、カズさんのそのタキシード姿を見かけると、普段とのそのギャップによく笑ったものだった。彼の働くお店は人間関係がグチャグチャしている場所にも関わらず、カズさんは時間通りに現れては文句も不平も言わずに真面目に働いていたと、ずっと後になって当時一緒に働いていた人から聞いた。
 
 
 
 
カズさんは更に、英語、イタリア語、ヒンドゥー語、スペイン語を話すことが出来る。
だから、外国人の友人がたくさんいた。
そんなに口数が多い人ではなかったのだけれど、その日本人離れした風貌と知識の豊富さと際どいユーモアのセンスがある彼のまわりには、自然と人が集まってくるのもうなずけた。そして生粋の風来坊である彼は、粗食で日々を過ごし、コツコツ貯金をし、それからしばらくしてバルセロナに旅立っていった。日本食レストランで寿司をにぎっていたと聞いたこともある。何でもやる人である。そしてそのようなライフスタイルを一環としていた、まるでジプシーのようだった。
そしてたまに列車でバルセロナから2等列車に乗って夜行を乗り継ぎ、数日かけてローマに帰ってくれば、みんなでフェスタ(パーティー)をして歓迎したものだった。
 
 
私はカズさんをまるで兄のように慕っていたから、彼が帰ってくるのをとても楽しみにしていた。
その間にも時間は少しずつ経過をするから、私もイタリアの良いところばかりじゃなく悪いところも見えるようになってきた頃だったので、会ってただ話を聞いてもらいたかった。イタリアがいかに腹が立つか、イタリア人がいかに無責任でいい加減かを切々と語ったら、バルセロナですっかり日焼けして戻ってきたカズさんは、ナポレオンⅡ通りにある友人のアパートメントの、西陽の当たる部屋で、洗濯物を片付けながらサラリと言った。
 
 
「イタリア人に道を聞くなら三度聞け。けして人を一度だけで信用しちゃダメだ。」
 
 
 
(これ、記事にしてますからもしよかったら読んでみてください)
 
 
 
 
 
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サンタ・マリア・マッジョーレ。
 
カズさん、どこかでこのブログをみていたら、どうぞこの教会を見て懐かしんで。
 
何度もローマに戻ってきたカズさんなら、この写真がいかに胸を締め付けるか分かるはず。
 
 
この教会は、私たちの生活の中心にあった。
教会の広場で誰かと待ち合わせたり、教会のわきの壁沿いに続く車の大渋滞をかきわけながら道路を横切ってアルバイトへ向かったり、近くのデパートで海用の大きな黄色いタオルを買ったり、宗教グッズの店でジョークでヨハネ・パウロⅡ世のハガキを買って友人に手紙を書いた。単語帳が足りなくなると決まってこの角にある文具店でノートを買い足した。アメリカ人やドイツ人観光客に混じって、ローマに不法滞在する仕事のない中東やロシア人が所在なく座っていた。教会の前の大通りにはヴィットリオ広場まで続くたくさんのメルカート(マーケット)が立ち、日用雑貨や革製品などを売っていて、スリに奪われぬよう、ポケットに入った財布を握り締めながらその狭い歩道を歩いた。夏になるとたくさんのハトとフンが広場を覆い、その中に流行らないアイスクリームやさんの屋台が一台、夕暮れまで停まっていた。
 
 
悲しかろうが嬉しかろうが辛かろうか退屈だろうがなんだろうがそんなことはおかまいなしに、
巨大なサンタ・マリア・マッジョーレはいつもそこにそびえ立っている。
 
 
 
イタリアに行く前までは写真の中だけでしか知りえなかった数々のモニュメントや建物が、生活をするにつれて次第に自分の生活の中の一部として溶け込んでいく。やがて時が過ぎ去って、やがていろんなものは過去となって次第に遠のいていく。
 
そして時々、どうして私は日本に帰ってきてしまったのだろうと考える。
 
 
だけどその答えも分かってる。
 
考え、判断したのは他でもない、自分自身だからだ。
 
 
 
 
私たちは現在を歩いていかざるをえないのだけど、
ふとした瞬間にいろんな思い出が、時々気持ちを優しく撫でることがある。
 
 
カズさんのエピソードもそんなうちの一つだ。