世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

滞在許可証

さて、イタリアに暮らす外国人なら誰しもが絶対にぶつからなくてはならない関門がある。

それは、地元警察に出向くことである。


イタリアで暮らすためには、滞在許可証の申請を警察に届け出ることが義務付けられている。これがないと不法滞在とみなされてしまい強制送還でブラックリストに載せられてしまう。もちろん日本を出る前に「学生ビザ」は発行してもらっているが、これは滞在許可証を発行してもらうための書類に過ぎず、イタリアに暮らし始めたらビザはただの紙切れに過ぎなくなる。従ってイタリアでいう「Identity(身分証明証)」は、パスポートと滞在許可証の2つを持つことで初めて成立する。

その申請をするためには「入国してから一週間以内に必ず地元警察に届出を出さない」といけない。



これは経験した人しか分からないと思うのだけど、うんざりするほど辛い作業である。
おそらくこれでイタリアを嫌いになる人はたくさんいると思う。

我々外国人の間で交わされる会話の中で

「もうそろそろ滞在許可証の更新があるんだよ」というと、みんなが心の底から同情のため息をついたものだった。

申請までの流れは下記の通り。

・申請に必要な書類が一切告知されないので口コミで情報を集める(アナログ過ぎる・・・)
・番号札は早い者勝ちだからものすごい早起きをしなくてはならない
・番号札をもらうのに2時間くらい待たされる
・更に3時間くらい待たされる
・窓口に行くと「書類が足りない」といって却下される
・翌朝またやり直す



これを2度繰り返す。3度は繰り返したくないから2度で終われるように頑張るのだ。




だけど、もしイタリア人のコネを持っていたら話は別だ。
あの努力は一体何だったのだろうかと思うほどに手続きは簡単に終わる。そしてあれだけ待たされる理由はコネで忍び込む輩がいるからだということにようやく気付くのだった。


なんて不合理なシステムなんだろうか。



だけど、100%不可能だと諦めたら、イタリアには絶対に住むことはできない。

100%不可能(不合理)なことを可能にすることこそがイタリアに住む唯一の手段であるからだ。



つまり言いかたを変えれば「何とかするしかない」。


シンプルだけど、本当にこれしかない。





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到着して3日後、だんだん打ち解けてきたジョヴァンニに、さっそく警察がどこにあるかを尋ねる。地図に印をつけてくれて、彼は私にこう言った。

「朝早く行かないとダメだよ。朝、とても早くにね」

ローマ・インから地元警察まではほんの数ブロック。翌朝9時くらいに到着すると、門はぴったり閉まっていてシーンとしている。誰かに尋ねるも人がいない。仕方がないので扉に貼ってある紙に書いてあるイタリア語を全部ノートにメモをして、部屋に戻って辞書で一つ一つ意味を調べたら謎が解けた。

「番号札を配っているんだ・・・」


ジョヴァンニにそれを話すと、9時なんかじゃ遅い、もっと早く行かなくちゃと言われた。「普通は6時とかに行くよ」

オーケー、やり直し。




翌日。
朝5時に早起きし、不安な気持ちで6時前に警察署に着くと既に数人が並んでいた。浅黒い肌の男性ばかりでアジア人は私だけだった。一時間くらいすると中から警官が一人出てきて、手書きの番号札を配り始めた。後ろを振り返るとすでに行列が出ており、20人くらいいただろうか。だけど番号札はわずかしか配布されなかった。恐るべし人数制限である。それ以外の人々は門前払いをくらい、後ろで何人かがブツブツ言っていたが、私には何を言ってるか分からない。

そして中に入るともっと混乱した。

会話は全てイタリア語なのだ。当たり前かもしれない。でもここに申請に来ている人々はみんなが入国してから一週間以内に申請に来ている外国人なのだ。イタリア語が分からない人が殆どなのに、英語を話す警察官すら一人もいないのでコミュニケーションができない。申請書に書いてあるイタリア語も分からない。これには私もすっかり参ってしまった。日本のガイドブックには当然そこまで細かいことも書いていないし、当時はインターネットもない時代で事前に情報を入手することもできなかったから、とにかく「無」の状態である。番号札をもらって中に入れたのはいいが、そこから先は一体どうすべきなのか私はすっかり途方に暮れてしまった。



(この写真はたまたまインド人が多いですが、本当にこんな感じの中に一人ポツンと私がいました)

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すると、背後で「どうかしましたか」という日本語が聞こえる。

振り向くと一人の日本人女性が立っていた。


「お困りのようでしたらお手伝いしますよ」


ショートカットで気取りのない上品な微笑を浮かべたその人はミエさんといった。


今思えばどれだけ神様のように見えたことか・・・。




ミエさんは数年前にイタリアに住んでいたので少しイタリア語が分かるのだと言う。申請書の書き方からコピーや収入印紙の買い方まで全てテキパキと丁寧に教えてくれて、窓口まで一緒に付き添ってくれたお陰で私は無事に申請作業を終えることができた。何度も何度もお礼を言うと、ミエさんは今度一緒にランチでもしましょうよ、と言って電話番号を渡してくれた。


ミエさんは独立した女性だった。
彼女も単身でローマにやってきた。よく日本の家には帰りたくない、と言っていた。理由は聞かなかったが何か事情があったようだ。そのうちモザイク画の修復士になりたいという夢を抱き、昼間はバールで働いて学費を稼ぎながら学校に通い始めた。白いカメリエーラ(給仕)の服がものすごく似合っていて、いつもテキパキと動いているその姿を見ては何となくホッとした気持ちになったものだった。いろんなカオスが混在しているローマで、真面目に日々を送っている人を見ることほど何となく安心することはない。



ローマでの初めての滞在許可証を、私と一緒に窓口に申請してくれた人、ミエさん。

今でも感謝をしても足りないくらいの気持ちでいっぱいになる。



身寄りのいないローマに単身乗り込んで4日目。

こうやって自分が何かをしようとすると、ふと誰かがやってきて私のサポートをしてくれる。

つくづく人と人のめぐり合わせというのは不思議である。




そしてその時、自分が想像していたほど孤独じゃないんだということに気付いたのだった。