世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

ご職業はなんですか

ローマ・インからアパートに引っ越すまではわずか一週間。
短い滞在ではあったが、今考えるとあれは本当にたった一週間の出来事だったのだろうかと我ながら首をかしげたくなるほど実に様々な出来事や出会いがあった。


ローマ・インはバス・トイレ共同のペンションで部屋は大部屋が3つと個室が1つある。
私が訪れた時はちょうど大部屋が丸ごと空いていたのでベットが4つくらいある部屋に一人で寝た。その部屋には小さな窓が2つついていて、はるか階下からは絶えずクラクションや救急車のサイレンが遠くに聞こえる。ペンションの建物の周りには、コインランドリー、バール、靴屋さん、安食堂、電気店、タバコ屋、スーパー、おみやげ屋、中華料理店などがあり相変わらずいろんな人種の人々がひっきりなしに右往左往している。


朝10時くらいになるとジョヴァンニが口笛を吹きながらモップをもって掃除を始める。
彼の日本語はそれほど上手ではないから、途中からはイタリア語になってしまうので必死に会話についていかなくてはならない。ジョヴァンニが何を言ったのか分からないけど、どうもそこのペンションにいる人間は私だけではないらしい。間もなく帰ってくるから、とジョヴァンニが言う。何か困っていることがあればその人に聞けばいいというのである。だけど滞在して一日が経過したのにジョヴァンニ以外まだ誰とも会っていないのだからなんとも不思議な話である。


しばらくして階段を上がってくる足音が聞こえた。
ジョヴァンニが嬉しそうに叫ぶ。

「エリだ!」






階段を上がってきたその女性はさっそうとレセプションに入ってくるとジョヴァンニと何か会話をした。完璧なイタリア語だった。エリさんはスラリとしたやや長身の美人で、5月の初夏の陽射しで既に程よく日に焼けていた。


「エリ、この子は日本から来たよ。観光客じゃない、ここに住みに来たんだ」


そうジョヴァンニがエリさんに言った後、ようやく私の存在に気付いたエリさんは振り向いて私を見た。




それがエリさんとの最初の出会いである。




エリさんはジョヴァンニと一緒に住み込みでローマ・インで働いていた人だった。オーナーは日本人なのだが、普段は滅多にここを訪れることはないらしい。この宿は日本人も多く訪れることからエリさんを雇い入れたようだった。


ちょうどお昼時だったのでエリさんが食事に行こうと誘ってくれた。
着いてからまともに何も食べていなかったのでその誘いはとても嬉しかった。この人は今でもそうなのだが、歩くのがとても速い。一緒に歩いていると思わずこちらが駆け足になってしまうほど速い。
ジョヴァンニとエリさんと私とで一緒にホテルを出て(扉には鍵をかけた)、およそ2ブロックほど歩いただろうか。驚くことに、この二人が歩いていると、あんなに無愛想だったバールやレストランの給仕、近所のお店の人たちが、まるで別人のように人の良さそうな笑顔で口々に「チャオ、ジョヴァンニ、エリ!」と挨拶をするのだ。
どうやら二人はこの辺でも顔がしっかり知れているらしかった。


テルミニ駅のすぐそばにある彼らの馴染みの小さなレストランに入った。
ガラガラに空いているそのお店の奥からオーナーが出てきてジョヴァンニとエリさんにチャオと挨拶をし、エリさんとは頬でバッチョ(キス)の挨拶をした後、一番奥のテーブルに案内された。


一番奥のテーブル。
これはお得意様だけが座れる特等席である。
(一見さんはけっしてそこのテーブルに案内されることはない。イタリアにはそういうルールがある)



だがその日は偶然にも数人の男性が既にその奥のテーブルで食事をしていた。
ブロンドのおじさんと黒髪のくせ毛のおじさんが二人。
ジョヴァンニとエリさんは彼らの知り合いだったようでひとしきりの挨拶がまた始まった後、私たちも同席することになった。


だけど私はどう振舞っていいのか分からない。当然会話だって聴き取れない。みんなは特に私を特別扱いはしない。久しぶりに会った友人たちと会話が盛り上がり平然とイタリア語で会話をする。他の誰もが私に気遣うこともなく、一人だけ気まずい思いをしながらテーブルに座っていた。いずれにせよ私はローマに着いて二日目なのである。こんなシチュエーションは無理もない。



そのうちに注文した料理がやってきた。

まずここで驚いたのだが、イタリア人が使用するパルミジャーノ(チーズ)の量は半端じゃない。

あらかじめ削り落としたパルミジャーノが別添えで料理と一緒に運ばれる。
全員がそのパルミジャーノをこれでもかと言わんばかりに大量に料理の上にかけまくる。
大きいスプーンで山盛り5杯くらいはかけただろうか。あっという間になくなり給仕に追加をねだる。大量にふりかけられたそのチーズでトマトソースも真っ白に染まっていく。そして器用にフォークにスパゲティを絡めて音も立てずにパクパク食べてはお喋りを続けるのだ。(後にこの大量のパルミジャーノがいかに味の決め手になるかを自然と覚えていくことになるのだが)


会話に参加できずに退屈な私は料理を食べながら店内を観察していると、たくさんのモノクロ写真が飾ってあることに気付いた。飾ってあるのはどうやら全員同じ同一人物の写真のようだ。


一枚の写真が目に止まった。


この人もスパゲティを食べている、とぼんやり思った。



イメージ 1






すると同席していたブロンドのおじさんが私に話しかけてきた。


「その写真の人はトト。知ってる?イタリアで最も有名なコメディアンで俳優」







ここでエリさんがすかさず会話のサポートしてくれた。
しかし、私もこれからイタリアで暮らそうと思っている端くれ、ここで頑張らなくてはどうしようというのか。
頭の中で何度も練習した基礎会話を試してみることにしたのだ。


Mi chiamo beabea, come ti chiami? (私の名前はbeabeaと言います。あなたの名前は?)


これは成功した。伝わった。相手も喜んだ(ように見えた)。

次は向こうから質問されたが、やはり聞き取れないのでエリさんが訳してくれる。

なぜイタリアに来たのか、どこに住んでいるのかなど一般的な質問を交わして何となく打ち解けてきた。


私はもう一つ、基礎会話の練習の成果を試そうとお決まりのフレーズを使ってみた。







Che lavoro fai?(ご職業はなんですか?)







すると、全員が水を打ったかのように急にシーンとなった。


そしてブロンドのおじさんはその静寂を破るかのようにニコッと笑っただけで何も答えなかった。

エリさんがすかさず小声でこう言った。


「そんな質問しちゃダメじゃないの!」




しばらくしてそれぞれの会話が再会され、元通り賑やかになりみんなが簡単な食事を楽しんだ。
でもブロンドのおじさんはそれ以来二度と話しかけてこなかったし、実践イタリア語基礎会話もそこで打ち切りとなってしまった。私には一体何が起こったのか、さっぱり理解ができない。でも気まずい雰囲気にさせてしまったのだけは間違いない。イタリア語を理解できなくても場の空気くらいは読める。


不可解な気持ちのまま食堂を後にした帰り道、また早足で歩きながらエリさんがこう言った。


「さっきのような質問は絶対にしちゃダメ。」


どうしてかと尋ねると、エリさんはサラリとこう答えた。


「あの人たちはね、このテルミニ界隈の泥棒グループなの。あの店によく食べにくる常連でそこで仲良くなった。私たちに直接の危害はないけど、彼らがどんな仕事をやってるかなんて絶対に聞いてはならないタブーワードよ。だから初対面でそういう質問はやめた方がいいわ」



泥棒・・・・・・・・・?



ローマに着いて二日目のお昼にはテルミニ界隈の泥棒と一緒に食卓を共にするだなんて一体誰が想像できるだろうか。


誓ってもいい。

私はこの一件以来、イタリア語だろうが英語だろうが海外にいる時は二度と

「あなたのご職業はなんですか」

というフレーズを使ったことがない。



世の中にはけして他人には語ることのできない秘密のお仕事をしている人が身近にもいるんだということをこの時初めて学んだのであった。


そしてその安食堂に一人で行くと、時々あのブロンドのおじさんとその集団がいつものように一番奥のテーブルで同じメニューを食べていた。


そんな時は、よそよそしく「ボンジョルノ(こんにちは)」とだけしか会話を交わさなかった。
そしてあえて手前のテーブルを選んで座る。
私はあのスパゲティを頬張るトトの白黒の写真を、
いつものように眺めながら自分の存在感をさりげなく消すよう心がけるのだった。



世間にはそういう「お付き合い」があるということを、ローマ到着2日後に学んだのである。


そして偶然かどうかは分からないがテルミニ界隈でスリや引ったくりに遭ったことは未だかつてない。