当時はインターネットやEメールがそれほど普及していない頃だったのでFAXかまたは電話で問い合わせるしかない。あらかじめ覚えてきたイタリア語のフレーズで緊張しながら空港から宿へダイヤルすると、ある男性が出た。
今日から長期でお世話になりたいのですが、というと何かイタリア語でまくしたてられたがさっぱり分からない。
イタリア語とは本当に「まくし立てる」というフレーズがピッタリの言語で、母音も明確な上発音のストレスがとても強い。だから初めはものすごい威圧的でぶっきらぼうに感じる。慣れない人はここでまず怖気づいてしまうのが一般的だ。
私のあまりにたどたどしいイタリア語と日本独特のイントネーションに気付いたのか、突然その男性が今度はたどたどしい日本語で説明を始めた。
「テルミニ駅を降りたらまずマクドナルドがあるので、その脇の道の一本目を右に折れて下さい」
この時のホッとした感といったらない。
この「ローマ・イン(仮称)」とはローマ在住のKさんという日本人女性が経営していたペンション。
ヨーロッパではペンションはホテルよりもランクの低い相部屋の安宿のことをいう。バックパッカーがよく使うところだ。身よりもない私にとっては、最初はある程度日本人を頼りにしていった方がいろんな情報が得られるのではないかと思いそこを拠点とすることにしたのだった。
ヨーロッパではペンションはホテルよりもランクの低い相部屋の安宿のことをいう。バックパッカーがよく使うところだ。身よりもない私にとっては、最初はある程度日本人を頼りにしていった方がいろんな情報が得られるのではないかと思いそこを拠点とすることにしたのだった。
右も左も分からないローマ・テルミニ駅に着いた時、まず有色人種の多さに驚いた。
黒人、インド人、中国人、アラビア人。
みんな無表情で雑踏の中を歩いている。
目の前をトラムがチンチンチンとベルを鳴らしながら通り過ぎる。
バスが何台も強引に横切り、その車の合間をぬって人々が道路を横断する。
信号がないので人も車も大きなうねりのように縦横無尽に絶えず流れている。
クラクションはひっきりなしに騒ぎ立て、たくさんの罵倒がその中に混じる。
ごみが散乱しあらゆる悪臭を放って思わずむせ返してしまうような歩道を歩いていると、蓄積された日焼けですっかり浅黒くなった顔に汚れた作業着を着たおじさんが意味もなくからかってくる。酔っ払ったホームレスが日陰で居眠りをしている。オープンカフェのウエイターもまた愛想もなくうんざりした表情で無言のままテーブルにガチャンと音を立てながらカプチーノのお皿を乱暴に置く。
黒人、インド人、中国人、アラビア人。
みんな無表情で雑踏の中を歩いている。
目の前をトラムがチンチンチンとベルを鳴らしながら通り過ぎる。
バスが何台も強引に横切り、その車の合間をぬって人々が道路を横断する。
信号がないので人も車も大きなうねりのように縦横無尽に絶えず流れている。
クラクションはひっきりなしに騒ぎ立て、たくさんの罵倒がその中に混じる。
ごみが散乱しあらゆる悪臭を放って思わずむせ返してしまうような歩道を歩いていると、蓄積された日焼けですっかり浅黒くなった顔に汚れた作業着を着たおじさんが意味もなくからかってくる。酔っ払ったホームレスが日陰で居眠りをしている。オープンカフェのウエイターもまた愛想もなくうんざりした表情で無言のままテーブルにガチャンと音を立てながらカプチーノのお皿を乱暴に置く。
文字通り、そこはカオスだった。
5月のローマは既に夏が始まっている。
着ていたパーカーを脱いでTシャツになり、カバンをしっかり体の前に持ってきて、電話で教えられたとおりペンションがある建物の一階にたどり着き、すっかり雨風で薄くなってしまった「ROMA IN」の文字が書いてあるところのブザーを押した。
着ていたパーカーを脱いでTシャツになり、カバンをしっかり体の前に持ってきて、電話で教えられたとおりペンションがある建物の一階にたどり着き、すっかり雨風で薄くなってしまった「ROMA IN」の文字が書いてあるところのブザーを押した。
「Si.」
さっきの電話の男性の声だ。
名乗ると入り口の奥にあるエレベーターに乗って最上階まで上がれといわれた。
3人も入れなそうな小さなエレベーター(扉を手動で閉めることを知らなかったのでかなり苦戦した)に乗って最上階へ行き、さらに辞書や勉強道具が入った重いスーツケースを引きずりながら螺旋階段を1フロア分上がる頃にはすっかり汗まみれになっていた。
階段を登り終えると、鉄格子の扉が開いていて、部屋の奥の隅の窓際に小さなカウンターがあり、
もじゃもじゃ頭で髭面の男性が座っていた。
もじゃもじゃ頭で髭面の男性が座っていた。
そしてニッコリ笑ってこう言った。
「チャオ。ようこそローマ・インへ」
開けっ放しになった窓からはとても気持ちの良い風が吹き、クラクションや子供の声も遠くにしか聞こえない。
青白い壁に囲まれた最上階の、風通しのいいレセプションにいた男性はジョヴァンニと言った。
この時の風景を私は今でも忘れることができない。
そして、ローマ・インは私の心の拠り所になっていくのだった。