イタリアで暮らそう。
そう思ったのは実に自然なことだった。
その理由は数えたらキリがないほどたくさんあるけれど、まずは確固たる夢があったからだった。
だからこれから先の将来の自分をしっかりと鮮明にその姿を胸に描くことができた。
だから動機はとてもシンプルで明確だった。
日本に帰ってくるつもりは正直なかった。
別に日本が嫌いだったわけでもなく、逃げ出したくなるほど辛いことがあったわけでもない。
ただ、海外で暮らすことが自分にとって極めて自然な生き方だと思っていた。
簡単に言うと「何も怖くなかった」のである。
出発前にありったけの荷物をイタリアに船便で送った。
学校の入学手続きも全部自分でやった。これからは誰かに甘えることはできない。全部自分でやらなければならない。
仕事の傍らでこっそりアルバイトをいくつか掛け持ち、わずかだけど何とか当面の資金を作ることもできた。
会社を退職した。
イタリア大使館で学生ビザを発行してもらった。
社会保険、銀行なども一旦クローズするなどの手続きをし、CITYBANKに加入した。
ゼネラリ保険というイタリアの保険会社に加入した。
運転免許証は失効しないように国際免許証に書き換えた。
当時付き合っていたパートナーともお別れした。
辞書と文法書、自習ノートをスーツケースに入れた。
フェリーニの代表作として名高いこの映画のタイトル。
イタリア人もイタリアに魅せられた人も、何かの局面に立つとよく「あぁドルチェヴィータ」と言うことがある。
時に嬉しさの表現として、時に皮肉めいた表現として。
当時の私はとにかくこれからの自分の行く末が楽しみで楽しみで仕方がなかった。
それからローマに降り立ち、イタリアの奇異な洗礼を受けることになるとは知る由もなく。