世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

イタリア人の名前(onomastico)

私がローマの学校に通っている頃にあることを尋ねられた。
別にたいした話ではないのだが、人というのはそういう別段とりとめもない話をよく覚えていたりするものである。


私が当時通っていた語学学校のクラスメイトはとても仲が良くて、授業のあとはよくみんなでピザを食べに行ったりタベルナという安食堂でパッとしないラザニアを食べたりしていた。その日もお昼過ぎに授業が終わり、外でみんなで立ち話をしていたら先生がひょんなことからイタリア人の名前について話し始めた。


イタリア人の名前はそのほとんどが聖人の名前から由来している。

(男性の場合)
マリオ、マルコ、マウリッツィオ、ジョバンニ、ジャン・ルーカ、ステーファノ、ミケーレ、ロベルト

(女性の場合)
ルチア、アンジェラ、フランチェスカ、マルタ、フラーヴィア、ソフィア、ジャン・フランカ



このようにイタリアでは自分自身だけでなく、自分の名前にも誕生日があり、その名前に対応する聖人様の名前の日にもお祝いしてもらうのが普通とのこと。つまり、誕生日が二つやってくるのである。

これをイタリアでは「オノマスティコ(Onomastico)」と呼ぶ。



事実、イタリアのカレンダーの曜日の下にその聖人の名前が書いてあるので、今日はどの聖人の日かも一目瞭然。2月14日はサント・ヴァレンティーノの聖人の日、といったように。
なるほど、さすがカトリックのお膝元!と思って聞いていたら先生が「あなたの聖人は誰?」と真顔で尋ねられた。残念だけど私は日本生まれのメイド・イン・ジャパンなのでイタリア名を受けてはいない。従って私に聖人などいない、とこたえた。


「本当にあなたには聖人の名前がないの?関係もないわけ?」と何度か聞かれた後に先生の表情が曇り、節目がちにこう言った。



「なんてかわいそうなの。」



ヨーロッパに住んでいると、時々こういう場面におかれることが少なくない。
彼らに悪気はないんだけど、どうしてもキリスト的な目線が世の中の一般常識だと思い込んでいて、それに当てはまらないことにとても不自然な感覚を抱いてしまうようなのである。生まれてからずっと染み付いている観念を否定するつもりはないし、もともと私はそういった宗教学に非常に興味を持っていたので寛容な方ではあるけれども、この先生の言葉には不思議な違和感を覚えてしまったのでそれ以上何も返答することができなかった。かわいそうなどという尺度で見られたことが今までなかっただけに仕方がない。


あの夏まっさかりの暑い午後、ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世通りに面したバス乗り場でバスを待っている間、道路の照り返しで陽が刺すように肌に反射していたあの時を、そしてその先生の言葉を今でもたまにふと思い出すことがある。








オノマスティコを教えてくれたのは真ん中にいるピンク色のコートを着ている先生。
いつも一生懸命で明るい人だった。


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アジア人として大きなハンデのある私は欧州人の3倍頑張らないとついていけなかった為やはり最初は必死で勉強した。「あなたがそこまでやるんだったら私もしっかり受け止めてあげるわ」と言っていつも勉強につきあってくれたのが左端にいる先生。私がせっせとこなしていたテキストを特別扱いで時間外に全部添削してくれた。

最初からずっと担任してくれた一番つきあいの長かった先生は右端にいるルチア。
何も言わなくても私の不安をとても理解してくれていた。だからうまくやれたんだと思う。
この3人の先生たちにどれだけ感謝してもしつくせない。

またパリから短期留学でやってきた日本人のJさんは、スイスとフランスに10年以上住んでいたバリバリのバイリンガル。「イタリア語やるとフランス語の活用忘れちゃうのよ。英語なんてもってのほか。そういう脳みそのシャッフルって日本人が二ヶ国語やろうとしたら必ず起こる現象なのよ。それを乗り越えるまでがどれだけ長いか。」って言っていた。まさにそのとおりである。サバサバしていてキョーレツに(ほぼ)外人化していてストレートで底抜けに明るいJさんとのつきあいは上っ面な部分が全くないので居心地がよかった。私がパリに行った時もよくしてくれて、スイスの信頼ある仕事まで紹介してくれた。しかし、まだ臆病で自信のなかった私はそれを承諾する勇気もなかったのだった。



この記事に載せる写真を探していてみつけたこの一枚、久しぶりにみたら今日はなんだかとてつもない郷愁に誘われてしまった。




(Barbaraという名前、私はついイタリア語読みで未だに「バールバラ」と呼んでしまい、時々恥かしい)