世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

『残業は自分のための研修だ』

とあるコラムのタイトルがなかなかシックなテーマだったので思わず目がいってしまった。



『残業は自分のための研修だ』





1990年代から実施されたゆとり教育は、学力低下を招いたと指摘される。その反省で今年度から、学習内容を増やした新学習指導要領が先行実施され、授業時間が増える。

ここ2,3年、日本の企業では残業を罪悪視する風潮があるという。この「ゆとりの押し売り」が学校教育同様に、取り返すことのできない失敗になりかねないと、見直しを提言するのが対米進出コンサルタントの長野慶太著『プロの残業術』だ。

著者は米国での体験で「英語のハンディは大きいし、ノウハウでも大きくひけをとる」と痛感し、「ハンディは残業で埋めるしかない」と心のそこから思ったと言う。「させられる」残業ではなく「自分のための」残業を積極的に行おうと力説する。日本の残業時間は1785時間と、イタリア(1824時間)、アメリカ(1794時間)などとけっして多すぎるわけではなく、レッテルを張られているほど勤勉ではない実態を明らかにする。「あなたが今夜やらない仕事は、ライバル企業がやっている」との警句には頭が痛い。更に限界にぶつかり、超える、「それはまさしく感動である」。損得勘定を離れた体験が自信に変わると本の中で訴える。私も思わずこの本を買いに本屋さんに駆けつけたい気分になった。




「日本の企業では残業を罪悪視する風潮がある」というのに何よりも同感してしまいました。
仕事ができない、容量が悪い、残業代泥棒、家に帰れない事情がある、などなど、兎にも角にも否定的。

私は何を隠そう、れっきとした「残業組」ですが、それにはいくつかの理由があります。

ジャイアン気質の上司からの宿題が山のように日々降りてくる
・いろんな宿題についてまわるデッドラインが毎日のように訪れる
・それ以外にもかかえる業務量が限りなく多岐に渡っているので必然的に忙しくなる

これらは個人プレイではなく、いろんなチームやメンバーと一緒に作り上げていきますから孤独なランナーではありません。なのでどうしてもまとまるまでに時間がかかるんですよね。ジャイアン気質なヘッドも大きな要因です。私なんかまだマシで、殆ど24時間不眠不休で自宅にPC持ち込んで朝まで仕事する人も中にはいますが、さすがにそこまでいくとちょっと・・・。私はメリハリが欲しいので、一応睡眠はちゃんととって遊ぶ時は遊び、飲み食いもしっかり楽しみます(ただしいつも遅刻しますけど)。


だから残業に対して否定的ではありません。



このコラムがおもしろいなと思ったのは、そういう否定的な世の中の風潮にあえて警鐘を唱え、
しかも「残業は悪じゃない」って提言しているあたりが斬新だなって思っちゃったからです(笑)。


いや~日本はいろんな意味で欧米化してますがもともと勤勉な国民ですからねー。無理と我慢が美徳で仕えた歴史があるだけに、それでうまくいくならいいんじゃない?って思います。変に欧米にならって自国の正しい認識をしないまま「ゆとり」なんていってるから間違った方向に転換しちゃうんです。何かに夢中になったり一生懸命になることの対象が仕事であったとしても別に悪いことじゃない。
「プロフェッショナル」になることってすごい。それがどんなジャンルであったとしても。


また、この著者の経験も何となく分かります。

そのハンデを乗り越えたかったら、やっぱり何よりも自分が努力するしかない。

自分は自分が思ってるほど天才ではないので。




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ただ、反論も。

自分を磨くために残業するという観念は意味が良く分からない。
「させられる」残業じゃなく「自分のための」残業だと言い切るのも疑問。

スキルアップをしたいなら会社の外での努力をすべきです。企業はそこまでお人よしではありませんから・・・。
ゆとり教育を見直して教育制度を抜本的に改革していこう!といいたいのか、他者に負けないようにもっと喰らいついて自分のアイデンティティーを磨け!といいたいのかどうかまでは、残念ながらコラムからだけでは分かりませんでしたが、とにかく残業にあまり否定的になる必要はないってとこだけは共感しました。

これに関してはおそらく様々なご意見があるでしょうが・・・。





「あなたが今夜やらない仕事は、ライバル企業がやっている」


染みるセリフです。しかもなぜか受験勉強や部活時代を思い出します。





じゃあ寝ます。チャオ。