世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

心臓を貫かれて/マイケル・ギルモア

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(あらすじ)
無差別殺人により死刑となった兄と、その一家の歴史をたどった回顧録ノンフィクション。


『血は我々にとっての唯一の永遠の歴史であり、血の歴史は改訂を許さない』

時に、一般的な概念というのは、ある種の人々を苦しめる。


1.なす術もないこと

この本を読み進めながら、兄ゲイリーの心情を読み取るうちに気付いたこと。
それは、彼が自ら死を望み、それこそが魂の解放だと信じていることだった。
愕然とした。

そんな相手にはきっとどんな言葉だって何の意味もない。なぜなら既に究極の結論を出してしまっているからだ。自分が無条件に愛している人または家族というしがらみの中で、誰かがそのような結論を出した時、いかに自分の存在が虚しく感じるかを知ることは結構辛い。そしてそのように残されたまま、いつまでも消えない過去にしばられながら未来を歩いていかなければならないし、家族というのは他と違ってちょっとやっかいで、そうそう簡単に乗り越えるとか軽々しい発言では済まされないものがあるのじゃないかと思う。

死を目前とした時、たいてい人は無力になる。
一番辛いのは本当に必要とされたいのに、必要とされないこと。
そして、仮に必要とされたところで自分も全く無力であると思い知らされること。

著者は死刑を目前にした兄に向かって何度も生きていて欲しいと訴える。
しかしやがて気付くことになる。
どんな祈りや切望も一人よがりにしか過ぎず、自己満足な思いであることを。
兄の本意を汲むことは死を意味し、しかるべく死と対話するしかないということを。
これほど胸が引き裂かれる思いってあるだろうか。失いたくないと思う気持ちが実はどれだけ相手を苦しめるか。双方の想いはお互い交わることなく主張すればするほど、また百歩譲って相手を思いやってたとしても、結果は悲しい事実と孤独だけしか残らないと分かっているからだ。悲しい・・・。


2.血統


家族というのは愛情とか自然に備わっているのだとしても、時にそれは不透明になったりする。それも家族だ。兄ゲイリーの人生の顛末と、ギルモア一家の暗い影は想像以上に著者を苦しめる。

家族は点でつながっているだけでも立派な絆だし、血統とは切っても(あるいは切りたくても)切れない縁だと思っている。村上氏風に言うと、「好むと好まざるにかかわらず」である。

一歩掛け違えるとそれは、どうすることも出来ない宿命的な負のスパイラルになる。
村上氏は「トラウマのクロニクル」と言っていたけどまさにその通り。

しかしそのような立場においてこういう自叙伝を書き上げるということは相当の勇気だと思う。個人的にはこんなに苦しんだのにまだ自分を苦しめちゃうの?っていう気持ちになりました。だって結局また世間に過去をしらしめることになるので・・・でもそうしたかったんでしょうね、何か自分の中に終止符を打つつもりだったのか、分岐点にしたかったのかは本人じゃないと分からないけど。



とても悲しくて苦しい本でした。
この本を出版後、著者に何らかの救済がもたらされていることを願ってやみません。
ステキな夢を見ていてくれればいいなと心から思います。


おやすみなさい。