バーリって町、どの辺にあるかをまず説明します。
ここで旅友がひっかかっちゃってねぇ~。
私たちがイタリア語で駅の係員とお喋りしていたら不振に思われて駅の小部屋へ連行されました。
私たちがイタリア語で駅の係員とお喋りしていたら不振に思われて駅の小部屋へ連行されました。
私は学生ビザで入国し、滞在許可証を真面目に更新していたので問題なかったのですが
旅友はもともとただの観光客として入国してそのまま居ついていたので、いわゆる「不法滞在者」になってしまうんですよ。彼女は当時既に、かれこれ2年近くモグリで滞在していましたので。
こういう人々を裏の俗語で「ネーロ(黒)」と呼ぶ。
(彼女はそういえばモロッコでも連行されていた 笑)
旅友はもともとただの観光客として入国してそのまま居ついていたので、いわゆる「不法滞在者」になってしまうんですよ。彼女は当時既に、かれこれ2年近くモグリで滞在していましたので。
こういう人々を裏の俗語で「ネーロ(黒)」と呼ぶ。
(彼女はそういえばモロッコでも連行されていた 笑)
ところがバーリの駅員はとっても良い人でした。
見逃してくれたのです。
見逃してくれたのです。
更にその駅員はちょうどシチリアとカラブリアに帰る10代の若者を(勝手に)選定し、付き添い人として同行するよう段取りまでしてくれた・・・。しかし彼らは若いせいもあって、夜も延々ハイテンションのお喋りにつき合わされモンキーの如く大暴れ。お陰さまで一睡も出来なかった。
「Torno a paese.(国に帰るんだ)」
※ちょっと離れた故郷のことを日本と同じように「国」と表現することをここで学ぶ(イタリア語実践講座)。
「Torno a paese.(国に帰るんだ)」
※ちょっと離れた故郷のことを日本と同じように「国」と表現することをここで学ぶ(イタリア語実践講座)。
バーリもちょっと観光しました。
今でも忘れない、駅前の閑散とした目抜き通りにあった寂れたバール。
パニーノを買う気力も失せるようなバールにイタリアで出会うことは珍しいのです。
パニーノってイタリアではそもそも食べる気を失せる食べ物に間違いはないのですけどね。いつ作ったのか微妙な干からびたやつがウインドウに陳列されているケースも結構多い。
パニーノを買う気力も失せるようなバールにイタリアで出会うことは珍しいのです。
パニーノってイタリアではそもそも食べる気を失せる食べ物に間違いはないのですけどね。いつ作ったのか微妙な干からびたやつがウインドウに陳列されているケースも結構多い。
「この船はこれからユーゴスラビアへ行くのだろうか。あの友人は元気にしているだろうか。」
バーリの駅で夜まで時間を潰しているとき、ホームに一匹の野良犬が。
その野良犬は白に黒のブチがついていて毛の長い犬で、うなだれながらとぼとぼホームを歩いている。
一番ホームの端から端まで歩いたと思ったら、クルリと踵を返してまた端から端まで歩く。
彼はそれをずーーーっと繰り返していた。
私はホームのベンチに腰をかけながら、その犬の行動をぼんやりと眺めていた。
やがて夜行列車が到着したので乗り込んでバーリを後にした。
一番ホームの端から端まで歩いたと思ったら、クルリと踵を返してまた端から端まで歩く。
彼はそれをずーーーっと繰り返していた。
私はホームのベンチに腰をかけながら、その犬の行動をぼんやりと眺めていた。
やがて夜行列車が到着したので乗り込んでバーリを後にした。
その後何年かの月日が流れ忙しく日々に終われいろいろあって数年が過ぎる。
日本に帰国し、ある日何気に「世界の車窓から」を見ていたらバーリをやっていた。
旅友の事件やバーリの子供、寂れたバールのことやちょっと曇った空のことなどを思い出しながらみていたら・・・
日本に帰国し、ある日何気に「世界の車窓から」を見ていたらバーリをやっていた。
旅友の事件やバーリの子供、寂れたバールのことやちょっと曇った空のことなどを思い出しながらみていたら・・・
私はハッと思わず息を飲んでしまった。
テレビの画面の奥で、あの犬がホームを歩いている姿が映っている!
感動してしまった。
あの犬はいつもあそこにいたのだ。
何年もの月日が過ぎて私はいろいろあったけど、遠い昔に一度だけ見たあの犬だけは変わらず毎日毎日あのホームを歩き続けている。
それに意味があるのかないのか私には分からないけど、なんかこみ上げてくるものがあった。
過去を振り返るなとか、前だけをなんちゃらってよく言うけど、
過去っていつもネガティブなことばかりじゃなくて、とっても癒されることだってあると思う。
過去っていつもネガティブなことばかりじゃなくて、とっても癒されることだってあると思う。
チャオ 犬。
バーリの犬。
バーリの犬。