世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

黄色い雨/フリオ・リャマサーレス

イメージ 1

「沈黙と記憶に蝕まれて、すべてが朽ちゆく村で、亡霊とともに日々を過ごす男。
悲しみや喪失といった言葉はこの小説に必要ない。
悲しみや喪失は、ここには空気のように存在しているのだから。
なのに、なぜ、すべてがこんなにも美しいのだろうか。

柴田元幸氏のコメントから抜粋)


本の帯に書いてあるそんな柴田さんの文章を読んで「ほんとですか?」と思いつつ、
実はこの作家のもう一つの作品「狼たちの月」を本当は読みたくて、著者プロフィールを読んだら、この「黄色い雨」の方が先にこの著者を名だたるものにしたということで、あえてそれからトライしてみたんですが・・・大正解でした。beabea図書館2008上半期ベストワン間違いなし。



(あらすじ)
過疎化された村でただ一人残された最後の男と一匹の犬。
凍てつく冬、閉ざされた時間、沈黙の日々の中で、じっと息を潜めて生活をする男。たまに見る人間の姿は、鏡に映る自分の姿でしかなく、大きな渦の孤独は彼を一切から隔離し、気持ちも心も行動も意思すらをも、分離させる。やがて春が訪れ、夏が来て、秋が来る頃に黄色い雨が降る。木々は燃えるように紅葉し、明かりに照らされた季節の終わりをそっと告げる。そして一人そっといつか自分にも死が訪れるのを待っているのだった。


このように、何か展開があるわけではないんです。
たった一人の男の独り言が淡々と連ねられているだけ。こういうの苦手な人は完全拒否しちゃうかも。

この男の口から「寂しい」だとか「悲しい」という言葉は一切出てこない。
美しい思い出に馳せる事もなく、かと言って自分や誰かを責める事もしない。

読みながら思ったことは、とにかく情景が「美しい」のと、不気味なまでの「恐怖」。

主人公の男は、全体を通して時に怯え、イライラしてとても神経質になっている。でも同時にとても疲れきっている。そして一方では諦めている。常にいつかは分からないけど間違いなく近いうちに訪れるであろう「死」に対してどう考えているかが深く深く、そして淡々と展開されていく。

一言でいえば、それは「死」という概念の中で生きる男の、たった一人の物語。

(男の語り:一部抜粋)
ひとりで暮らしていると、いやでも自分自身と正面から向き合わざるを得ない。それがいやだったのと、過去の思い出を守りたかったので、まわりに厚い防壁を築くことにした。人間にとってもうひとりの自分ほど怖ろしいものはない。荒廃と死に囲まれて生き延びる唯一の方法、孤独と狂気に陥るのではないかという不安に耐えうる唯一の可能性はそれしかなかった。今、私の目の前に広がっているのは、死に彩られた荒涼広漠とした風景と血も樹液も枯れてしまった人間と木々が立っている果てしない秋、忘却の黄色い雨だけだ。

時間は片隅に打ち捨てられて停止し、砂時計を逆さにしたようにそれまでとは逆方向に流れ始めた。

それからは終焉が、長く果てしない別れが始まることになるが、私にとってそれは人生そのものになった。物憂い歳月が追憶の上に厚く変わりやすい霧の壁を広げ、記憶を徐々にこの世ならぬ奇妙な風景に変えていく。しばらくして私は理解した。どのようなものも以前とは同じではない、思い出といってもしょせん思い出そのものの震える反映でしかないのだ、また、霧と荒廃の中に消え去った記憶を守ろうとするのは、結局は新たな裏切り行為でしかないのだということを。


私たちが今暮らしている立場と同じ目線でこれらをとらえてはいけません。
あくまでも、その離村で一人で人生を「送らなければならない」状況に陥った時に、人は何を考えるか。
人間関係が断絶された人間は、その場合何を思うか。
おそらく今以上に些細なものに敏感になり、これまでの基本概念をかなぐり捨て、孤独と死にどう折り合いをつけていくかしか考えなくなっちゃうんじゃないでしょうか。更に結論なんてものはそうそう簡単には出てこない。ロジックで物事を考える事を一度捨ててしまわないと、おそらく気が狂っちゃうでしょうね。正常と狂気の境目なんていうボーダーは限りなくゼロに等しくなっちゃうし、どうでもいいことになる。いろんなバランスが崩れていっても、人は考える生き物なだけに、やはりどこかで結論をつけないと前に進めないのかもしれません。

そんな彼のリアルな思考と、移りゆく季節。
この「恐怖」と「沈黙」が、とてつもなく繊細で静かな空気感を紡いでいくような描写の美しさ。

こういうのを肌身で感じると常々思うのですが、究極の美というものは、目に映る単純な彩りや完璧な姿・形そのものではなく、混沌とした世界の片隅にひっそりと存在している影そのものだったりする。

素直に自分の中へこだまして響いてくる感覚をつまんでいくような小説は数あれど、
この作家(スペイン人)の小説はその中でもちょっと変わった独特の空気感を持っています。
そういう意味ではなかなか味のある、深い本でした。
身につけた香水が忘れた頃にあとからじんわりと香るような余韻・・・。


※「狼たちの月」もすぐに買いに行って即読みでした。が、個人的にはこっちの方が好きでした。