世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

キース・ジャレットソロ2008

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(BGM:数え切れないくらい聴いてるケルンコンサートの January 24, 1975 PartⅡc)



今回のソロは私がこれまで観た中でも、一番パーフェクトに限りなく近いものだった。


キースのソロを観るのはこれで4回目。トリオは去年初めて観たので通算5回目のライブステージとなる。
どれだけ充実した内容なのかは再三に渡りお伝えしてきたので、今回はその仕組みについて。

通常この手のものは20分くらいのインターバルをはさんで全二部に別れています。
キースの場合は、ケースバイケースなんですが大体こんな感じ。

<第一部>
インプロビゼーション(挑戦)
・スタンダードあるいはインプロビゼーション(贈り物)

インターバル

<第二部>
インプロビゼーション(挑戦)
インプロビゼーション(贈り物)

<アンコール>
・スタンダード(贈り物)

「挑 戦」・・・宇宙、物質と空間のこだま
「贈り物」・・・生命や愛情の美しさとか、魂に近い部分


帰り道横を歩いていた人が私の名づけた「挑戦」パートについて、
まるで飛び交う銃弾のようなイメージだったと言っていたのを聞きましたが、まさにそう。
そのように、人によってつかむイメージの解釈はそれぞれ異なる。
つまり、キース・ジャレットのライブは私たちがキースのピアノから連想していろんな夢を描くことができるのです。

私が今回みた夢は上記のイメージだったので勝手に名づけさせてもらいましたが、多分聴き手によってそれはありとあらゆる100万も1000万もの限りない可能性を作り上げていくことができるのでしょう。だから答えなんてないんです。果てしなく自由な、永劫で無限。
まさに「夢をみさせてくれるピアノ」なんですよね。本当に神業としかいいようがない。

今回のキースは出だしからすごくノっていました。
観客とキースの呼吸は今までみたソロの中でベスト。
全てのタイミングが一致するとはこういうことを言うんだろうなぁと思いました。
今回はわりとブルースっぽいのを好んでいたようで、2曲弾きました。ブルースといってもそこはキース・ジャレット流になるわけなんだけど。

この人は鍵盤の指の押す強さ、柔らかさを巧みに調整しながらものすごいタッチの速さでメロディを作り上げていくのに加え、自分のインスピレーションを精神世界にしっかり投入していくテクニックが抜群に優れています。
エコーの余韻をじっくり味わうプレイ。そのエコーの中に水のようなまっさらな透明感があって、
まるで水滴の落ちる音がこだまするかのように響いてきます。その絶妙な間のとりかたや匙加減が織り成す、
ちいさなちいさな、ほんの一瞬の世界。そしてそれがさざ波のように連なっていくあたりに美しさを感じるんですね。ピアニストという枠からはもはや逸脱しちゃってる感じがします。

私は今回あえてA席を選びました。
遠くから聴いた感触をつかんでみようという狙いです。
抜群でした。むしろ遠くの方がイメージがとらえやすかった。
今度からはA席で聴こうと思います。


最後に。
アンコールの2曲目で「My Wild Irish Rose」が流れた時、涙が出ちゃった。
私が音楽を聴いて泣けたのは、ビートルズの「The Long and Winding Road」以来初めてのこと。

ブラビッシモ キース・ジャレット。
ブラビッシモ オーディエンス。
素晴らしいステージだった。

何かのインスピレーションを委ねられてるようなそこはかとない際限なき空間。
オーディエンスがプレイヤーに期待するのは単なる演奏の美しさだけじゃなく、もっと高い場所での一体感。
これぞキース・ジャレット。

そして、これがキース・ジャレット。


チャオ。