世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

エレファントマン

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先日ふと思い出しました。
しまった、この映画をすっかり忘れていた。ランキングが変更になるかもって思いました。

エレファントマン(1980年 イギリス/アメリカ)

いわずと知れた鬼才デヴィット・リンチの出世作
私の友人は「これを観て涙を流さない人は人間じゃない。」まで言い切っていたけど(笑)、まぁそこまでは求めません。この映画を言葉で説明するのは難しいな。理屈じゃなくて感覚で好きな映画なので・・・。

1.大衆という名の醜悪
メリックは特殊な病気を持っているため外見が象のように見えることから「エレファントマン」と呼ばれ、見世物小屋に入れられ虐待を受ける日々を送っていた。そこで彼は何も言わず(語らず)じっと耐え抜いてその日まで生涯を送ってきた。フレデリック医師に会うまでは・・・。
珍しいものや醜いものをあざけ笑う鬼畜のような世間の目。
行き場のない何かの怒りをはけ口としてぶつけるすさんだ時代。
独特な嫌悪がやがては快楽へとつながっていく姿。こういうのをみると人間って醜いなという思いと同時に、大衆の凶暴性って逆らえないほど強いものがあるなと怖くなります。(戦争とか革命とかもそうだけど・・・。)

2.メリックの心
フレデリック医師に救われたメリックは病院の屋根裏に保護される。そんなメリックは実は驚くべき才能を秘めていた。優れた教養、芸術性、純粋な優しさ。亡くなったお母さんはとっても美しい人だったと、メリックは小さな額縁に入った母の写真を大切にサイドテーブルに大切にそっと置く(ようやく誰の目も気にせずに置く事ができた)。聖書を暗誦しシェークスピアをこよなく愛し、深い暗闇の中で大切に抱き続けてきた一握りの小さな、蛍のようにおぼろげな光をようやく解き放つ事が出来たんです。
容姿は怖ろしくとも心は裏腹に研ぎ澄まされている、じゃなくて

「容姿とは関係なしに」心が研ぎ澄まされている、のです。

3.フレデリック医師
メリックをかくまったのも初めは新しい研究材料の為であり学会で堂々と発表するのが目的だったフレデリック。次第に彼を公の場に出すことも躊躇することなく(胸に秘めた芸術性を開花させようとしているメリックの為を思って)著名人の面会を許可し、新聞にも堂々と取り上げられるようになります。彼らの名前もすっかり有名になりメリックブームが吹き荒れるのです。

そんなある日、婦長さんがフレデリック医師に向かってこう言いました。

「先生。あなたのやっていることはあの見世物小屋の主人と変わらないんじゃございません?」

そしてその後、彼はその事をじいっと考えるんです。
(俺のやっていることは、単なる偽善にしかすぎないのだろうか・・・)

非常に印象的なシーンです。
フレデリックは泥沼の中から救っただけでなく、メリックの心の中にある純粋さに一番最初に気付いた人物であり、彼にもっといろんなあったかい色/世界を見せてあげたいと思った唯一の理解者なんです。
でも。
他人からみたら単純にマスコミに自分の名前がのることでスティタスを得、いわばメリックを利用した立場にもなりえるし「そういう風にも見える」のだと気付かされる。つまり自然に持ち得た愛情が偽善だと知らない間に誤解され、俗悪だと思い込んでいたグループにいつの間にか所属している?いやむしろ同等なのかもしれないと、気付いた時の衝撃。ああはなりたくないと思い、自分はそうじゃないと当たり前に信じきっていたその確信が突然揺らぐ。実は人間性なんてなんら変わっていないのかもしれない。

表裏一体だと思いませんか?自分の信念や意思という主観性に反して逆行していく客観性。
・・・・・・・。難しいテーマです。

3.弱者と呼ばれる者の運命
メリックが見世物小屋の主人に無理矢理連れて行かれ、脱走する時に同じサーカスの仲間が船着場でメリックを見送る時にいうセリフがあります。
「友よ、幸運を。」
布袋をかぶったメリックが振り返る。
「幸運。それこそが俺たちには必要なものだ。」
メリックが静かに頷いて、ゆっくりとタラップをあがっていく。
(これを書きながらすごく胸が詰まっています)

4.メリックの回答
その帰り途中であの有名なシーンが。
布袋で顔を覆い、マントで身を包んだメリックを当然世間は放っておきません。執拗に追いかけます。追い詰められたメリックが悲痛な思いを叫ぶシーン。彼が生涯で吐き出した唯一の苦悩のセリフ。

「おれは象じゃない。動物でもない。人間なんだ。」

そのメリックが最終的に下した決断は、言うとおり人間として最期を遂げる事。部屋の壁にかけてある一枚の絵。そこには子供がベットに体をあずけてスヤスヤと眠る姿が。メリックもこの子のように寝てみたいな、という夢と憧れを見る度に抱いてきた。でも実現させるという事は同時に彼にとっては死を意味することでもあった。
窓からみるカテドラルの模型を立派に作り終えた彼は、そこに自分の名前のサインを入れてペンを置き、彼の生涯で初めて、ゆっくりとベットに横たわっていく。

そして彼は人間として、静かに人間に還って逝った。

メリックにしか本当のところはわからないのかもしれない。実はもう疲れちゃったのかもしれないし、自分の価値なんてないとか先生にこれ以上迷惑をかけられないってのもあったんじゃないかな。すごく現実的な発想だけど。でも本質はきっと、彼は「普通に」ベットに横たわって寝てみたかったんですよね。だから彼にとって死は自分が本当の場所にかえることを意味しているんじゃないかと思います。幸せに死ねるってある意味理想的ですから。どんなに過酷な運命だって逆らえないものもあるし、流れに身を委ねて受け止めていくしかできないものを彼はしっかりと見つめ、自身の中での物事の本質を見据えた彼なりの最終結論だったのだと思います。

このラストは悲しいというよりも私にとってはむしろ、静かな感動すら覚える。

また、メリックとフレデリックの関係。
「死」というお別れは悲しいけれど、心にしっかりと刻まれた記憶があればそれは永遠のお別れとは少し違う。
私たちはいつでも思い出し、時には悲しんだり時には笑ってみたりすることができる。
そういうのを絆っていうんだろうなって、ふと思いました。

エレファントマンは本当に良い映画です。万が一まだ観ていない人がいたら、私はあえて勧めることはしないでしょう。なぜならこんなにいろんな意味で良い映画を誰かに教えるのはもったいないからです(笑)。粛々とね、これからも地味に好きな映画を探し続けていきます。
というわけで近日公開のリンチ最新作「インランド・エンパイア」を観に行きます。「マルホランド・ドライブ」も良かったのでやはり最新作もみたい。

稚拙な文章で全くお恥ずかしい限り。
読んでくれてアリガトウございました。