完全時差ボケ状態で早朝早く目覚めてしまい、7時にはレジデンスを出て朝ご飯を食べに行く。
そういえば到着してから数日は空腹になる時間帯もまちまちで、変な時間におなかすいたりした。胃も同じように時差ボケするのかな。聞いたことはないけれど。
朝ご飯は知人の方に教えて頂いたパン屋さんに行ってみる。
おしゃれなパン屋さんだったけど、全く英語通じず。
カフェラテみたいなやつとチョコの入ったクロワッサンみたいなのを食べて850円でちょっと驚く。え、そんなに高かった??まだこの時点でブラジルの物価に慣れてないからそれが高いのか普通なのかがよくわからないけど、味は普通。
そうそう、爪切りを(覚えていたのに)忘れてきたのでドラッグストアを何軒かはしごするも見つからない!ポル語でなんか話しかけられたので、爪切りを探しているといったが伝わらずジェスチャーで説明したけど結局見つからず、あとでやっとゲット。二週間半も旅行してると爪切りは深刻。
そういえば「爪切り」はもう忘れたけどイタリア語とむちゃくちゃ似てた。
サンパウロの旧市街へ
まずは旧市街に行ってみることにした。
旧市街は「平日はともかく週末はよっぽどのことがない限り近づくな」と地球の歩き方に書いてあったけど、その日は平日だったしなんか有名な教会があるとかで勇気を振り絞って行ってみることに。
まずは地下鉄に乗る!
治安、思ったよりも全然普通だった。
むしろローマの方がよっぽど危なかった気もする。
もちろんきっちり防衛するのが前提だけどね。
ブラジルのチケットはほぼほぼQRコード
地下鉄、バス、飛行機、入場券などはほぼ100%QRコードで発行されます。
その紙がレシート状のぺラペラタイプなのですぐ印刷が薄くなるから注意!
※QRコードが電子化されているわけではないところが惜しい
※もちろんローカルの地下鉄やバスで使えるSuicaみたいなのもあります
ということで、死んでも絶対危険な目に遭いませんオーラ(たぶん)全開で、旧市街の「セー」という駅で降りて地上に上がった瞬間、、、
教会前の広場そのものが怪しい人であふれている!!!
ドーンオブザデッド彷徨う感じ。
そんなゾンビのすきまをぬって教会に入ったものの全然大したことない。
というか、教会の中もどことなく怪しさ漂う感じでしたね。
さっさと移動しよう。
セー広場から東洋人街までは徒歩圏内。地下鉄にわざわざ乗るまでもないので、このまま歩いてみようと思ったのですが、そんなゾンビが徘徊しているところで怖くて携帯出せないでしょ?
地球の歩き方は中途半端な地図しか載ってないでしょ?
ポル語話せないくせによくやるなと我ながら思ったけど、お店の人とかに何度も道を聞いても方向が分からず、地球の歩き方をよく読むと「一歩間違えると恐ろしく治安の悪い界隈に行ってしまうので注意」と書いてあるので、降参して携帯を出しグーグルマップをこっそり見ながらなんとか東洋人街までたどり着くことができました。
東洋人街へ
朝早く開いていた日本食材スーパーには、海苔巻きとおいなりさんが売っていました。
普通においしそうです。
どこを歩いてもシャッターが閉まっています。
そのおかげで芸術作品を見ることもできました。
おそるおそるグーグルマップを見ていたら「日本人移民資料館」というのを見つけ、ちょっと興味深いので行ってみることに。
10時からと言われまだ9時30分だったので、斜め前にあった「Cafe NAGOYA」に入ってコーヒーを飲み、日本の友達にテキスト送ったりして時間つぶす。
そうそう、ブラジルのコーヒーはおいしいかったかとよく聞かれましたが、
普通でした。
やはり日本の方がなにかにつけてクオリティ高いと思います。
「日本人移民史料館」が意外に楽しかった話
考えてみたらブラジル移民についてほとんど無知の自分なもので、ちょっと足を運んでみた。
ブラジル移民分布図を見ると、九州エリアからの移民が多かったみたい。
移民を運んだ船。
移民当時は奴隷のように使われていたようです。
コーヒー農園で昼夜働く日本人の姿を描いた絵画がちょっとゴーギャン風のタッチで気に入りました。当時の移民の一人、日本人が描いた作品です。
当時様々な野獣があたりにいたようです。
とうもろこしの脱粒機。
やっぱりメキシコと一緒で、このあたりも小麦粉じゃなくてとうもろこしだったのね。
日本移民は現地の言葉にも苦労したようですが、同時に日本語を子供たちに継承させ、勉学に励まないといけないという危惧感を頂いたそうです。
なので現地で教科書作ったり本を発行したり病院を作ったり新聞を出版したり、日本人コミュニティは次第に巨大なコロニーとして成長していったようです。
こんな立派な病院まで建てて(涙)。
メンツ構成見る限り、コーヒー農園時代の移民の影も形もありません。
新聞の記事も読んでみましたが、わりとアグレッシブな内容もありました。
これは記念すべき第一回芥川賞を受賞した作品だそうです。
(会社の取引先の人に勧められて先日アマゾンで買いました、まだ読んでないけど)
プロパガンダ広告。
農園移民時代に住んでた家はこんな感じだったようです。
神棚があるところがさすがですね!!
マネキンがそうさせているのかどうかは分かりませんが、品の良さを感じます。
そのうち日本人がどんどんブラジルでの確固たる地位を上げていく記録が時系列に展示されてありましたので、サンパウロに行かれる方はぜひこの史料館へ一度足を訪れてみるのもよろしいかもしれません。
(知人には「あそこに行くなんてbeabeaさん珍しい人ですね」と言われました)
日本移民史料館(おもしろかったです、マジおすすめ)
その後はUBERを呼んで一気に旧市街から南下します。
パウリスタのオアシス、イビラブエラ公園へ
週末になるとパウリスタ(サンパウロっ子の呼称)がこぞってピクニックにやってくるという知人の方一押しの公園へ行ってみました。設計はブラジルで知らない人はいない有名な建築家、オスカー・ニーマイヤー。公園の設計までやっていたのですね。
こういう場所が大好物なわたしは思いっきり撮りまくったのですが、携帯のバッテリーがやばいくらい、減る。
ちょっと軽く食べておいた方がよいかと思い、公園の売店でコロッケみたいなのと揚げパンみたいなのを買いましたが、びっくりするくらい全然おいしくない!!
※このブラジルならではのスナックについては追って記事にしたく
そのうちこの子たちに囲まれて、最初はかわいがってたんですが、おいしくないスナックを食べていたら後ろからこの厚いくちばしで背中をどつかれました。。。
逃げよう。
そうこうしていたら知人の方からお昼に誘われたので、またUBERに乗ろうとしたら全然来てくれない(泣)ので、地元のタクシーに乗ってパウリスタ大通りまで戻る。一方通行の大渋滞で30分もかかってしまった。知人の方、笑顔で私を待っていてくれる。どこまでいい人なのだろう。
そして、近頃流行りの北ブラジルアマゾン料理を提供するおしゃれなお店に連れて行って頂き、ランチをしました。このチーズ味のジャガイモコロッケみたいなやつが美味でした。
これは北ブラジル地方のクラフトビールだったような気がする。
ブラジル料理「ムケッカ」を北ブラジル風にアレンジしているとのこと。
何が一体どう北ブラジルなのかというと、フルーツがちょっと混ざっていて酸味が効いていました。
それをお米とこの粉に混ぜて、カレーみたいにして食べます。
お米と和えるというあたりに馴染みがあって食べやすいです。
シチューというかスープみたいな感じでしょうか。
その後は再び旧市街へ移動し、オスカー・ニーマイヤーのコパンビルへ。
コパンビルみたいな曲線のデザインは、もしかするとこの建築家の特徴なのかも。
ビルの一階にある老舗のカフェでエスプレッソ。
老舗のカフェ、かっこいい。
コパンビルの見取り図。
一階は店舗になっており、上はレジデンス。5000人が住める巨大ビル。
この店舗の区画が自由過ぎて笑える。
6と22は貧乏くじ。
個人的にはレトロなフォントが好きなので、このサインだけでもうグッときます。
昔のサンパウロの写真がパネル展示されていました。
びっくりした、当時から大都会ですよね。
中央右の曲線ビルがコパンビル。よく倒れないで建ってる。
その一階にあるおしゃれカフェ❤️店員さんがむちゃくちゃ感じがよくて親切でした。
お腹いっぱいでアイスが限界。
このあたりからガッツリ眠気が襲ってくる。
だって朝7時から歩き回ってるんだからそりゃ眠くもなります。
時差ボケだけじゃない。
そして知人の方の案内のままバスに乗って旧市街から再びパウリスタ大通りまで行き、少しだけ歩いてからお夕飯のシュラスコという流れになりました。
せっかくのめちゃくちゃかっこいいシュラスコレストラン、写真もほぼ撮らず。
昼間の散歩の流れで来てるから、普段着のままで残念。
(そういうパターンまあまあ多い!!おでかけ着だってちゃんとあるのに!)
前菜の種類はんぱないけど、お肉にたどり着かなくならないように少量取ったものの
お肉もワインもちょっとしか堪能できずじまい。
シュラスコなのに。
(シュラスコの写真ありません)
知人の方とこの日の午後はたくさんいろんな話をし、本当に楽しかった。
高級シュラスコもごちそうになってしまい、雨の降る中レジデンスまで送ってもらい、こんなに感動したことはありませんでした。
※そういえば10人くらいの日本人の団体(どう見ても現地駐在員)もお食事してました
これにてサンパウロ観光はおしまい。
翌日は早起きして長距離バスに乗って次なる目的地、クリチバに向かいます。
とにかくブラジル旅行のリサーチがそこまで綿密じゃなかったというのもあり、自分にしてはめずらしく行き当たりばったりな旅のところもあったんですが、今回ほど何もかもスムーズにいった旅はなかったんじゃないかと思うほど全てが順調に運んだことを大変嬉しく思います。