世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

ニューノーマル

 

 

さっきニュースで、ニューヨーク、パリ、ストックホルムの今のコロナの様子を見た。

 

アメリカもフランスもワクチンパスポートがないと外食したりいろんなところに入れなくなってていて、もしかすると日本もそうなるのかな。

 

基本的にワクチン打つ打たないは本人の自由だからなんとも思わないけど、打たないと感染リスクが上がるという言い分もわかる。でも、打ったからといって絶対感染しないという確証もないから打たねばならないという説得力もちょっとない。ワクチン差別をめぐって喧嘩してるニューヨークの飲食店店主と客、更には打たない派のデモが暴動に発展して殴り合ってるフランス人などはどういうことなのか全然意味がわからない。

 

 

 

そこでストックホルム

もともと規制もせずロックダウンもせずマスクの強制もせず、個人の自由を尊重し続けてきた。時には死亡者も増加し国の感染対策に疑問を持たれたりしたこともあったけど、彼らの言い分はつまり、「とにかくみなさん一人一人が各自で危機管理してください」に限るわけで、「ワクチンを打とうがロックダウンをしようがどんなに予防してもどのみちコロナはけしてゼロにはならない。コロナは新しいニューノーマルとして考え、それよりも社会生活の基盤が崩れないようバランスをとりながら共存していくことの方が重要だ」と言っていた。

 

 

それに対してニュージーランドやオーストラリアは感染者が一人でも発症したらすぐにロックダウンをして徹底封鎖を貫くことで圧倒的に感染者の増加を防いでいるけれど、スウェーデンからしたら「はあ?」って感じなのかもしれない。

 

 

国民が国民の自由を主張する国、アメリカとフランス。

国が国民に自由を委ねる国、スウェーデン

 

 

ニューヨークやパリとストックホルムでは人口の比率が違うだろうから同じレベルでは比較できないのかもしれないけど、コロナはどのみち収束しないだろうという前提は正しい。もうそれぞれの役割、例えば国は医療の下支えをメインでやってもらい、感染対策は国民一人一人の意識づけに頼るしかないっていうのはありかもしれないなあと妙に納得してしまった。

 

いずれにせよ、私たちには常にオプションを与えて欲しいと思う。

コロナの中で、会社に行く行かない、コンサートに行く行かない、旅行に行く行かない。

それって本人がどう判断するかに任せて欲しい。

ああしろこうしろと決めつけじゃなくて。

 

 

なーんて私は根が自由人だから余計そう思うのかな。

 

こないだコロナにかかった芸能人の方、結構重症で心配してたけどなんとか生還してよかったなと思ってたら、コロナになったのは菅さんのせいだと暴言吐いててびっくりした。コロナになったのはいろんな事情があってのことだと思うけど、ある程度きちんと予防しててもブレイクスルーしてきたらしょうがないよね。

 

でもそろそろ国の政策頼りにする時期は終わりを迎えているのかもしれない。

ちょっとスウェーデンよりの気分。

 

来週はコロナ後初めて親戚のところに行くので、今週PCR検査受けに行きます。

 

 

 

 

最後にお花の写真で終わります。

 

日本のブーゲンビリア百日紅サルスベリ)。

 

 

f:id:beabea-journey:20210914233250j:plain

 

 

今年は花のつきが悪いなあとがっかりしていたら近頃モッコモコに咲いてきた。

もともと病気がち(買った時からうどん粉病)だけど、頑張って咲いてくれて嬉しい。