先日会社を午後休んで、久しぶりに国立新美術館に行ってきた。
佐藤可士和展、気が進むような進まないような。
でもどんな作品を作ったのか興味もあったので行ってみる。
佐藤可士和さんとは日本を代表する、おそらく最強のグラフィックデザイナー。彼のロゴデザインのおかげでユニクロのブランドイメージは大きく変わったことを考えれば、ビジュアルデザインがいかに重要なマーケット戦略なのかを思い知らされた企業は当時山ほどいたのではないかと思う。ユニクロが大きく方向転換しようとしたタイミングと新しいロゴ改革が相乗効果をもたらした大きな成功例だった。
佐藤可士和さんはもともと若い年齢層をターゲットにした企業とタイアップしてきただけあって、会場のお客さんはほとんどが10代〜20代っていうのもかなり象徴的。
この人の作品は文字をうまくアート作品にできるところがかっこいいなと思う。
「グループ結成10周年の記念アルバム用に依頼を受けたビジュアル。この広告は国民的アイドルの顔写真を思い切って一切載せないことで、スマップというグループそのものをブランディングしようと考えた。当時PRというのはテレビや雑誌媒体でしか発信することができなかったけれど、SNSが急速に浸透していき始めたことに一早く目をつけた僕は、渋谷という若者たちが集まる街そのものが広告塔になるのではないかと思い、駅やビルの広告看板など街全体をフルにジャックして、それを見た渋谷の若者たち自らを宣伝塔として発信させる方法を取った」
確かにこれカッコよかった。
(広告業界ではそのポスターの前で3秒立ち止まらせたら成功だと言われている、と石岡瑛子さんが言っていたけれど、これはまさにみんなが引き寄せられたヒット作だったと思う)
ところでこの展示室の作品解説はQRコードを携帯に読み取ることで音声ガイドを聴くことができるようになっているのだけど、観ている人のほとんどは全く興味がないようでただ写真を撮るだけに専念していたのも、なんとなく象徴的な感じもした。
講釈垂れ流しに耳を傾けるようになるのはもう少し大人になってからなのかもしれない。
佐藤可士和さんといえばユニクロと楽天と今治タオルなんだけど、ラジオで何度か本人が話しているのを聴いたこともあって、クリエイターというよりは実業家の右腕となって経営戦略を練っているビジネスマンといった印象も強い。
実際にビジネス書籍も執筆されていた。
「佐藤可士和」ってもはや名前そのものがブランドになっちゃってる。
おそるおそる「佐藤可士和の打ち合わせ」を開いてみたら、私が30代初めの頃に厳しく指導されたビジネスマナーがそのまま書いてあった。個人的にはこんな風にだれかに仕事のいろはを指南することってもう自分には恥ずかしくてできないけど、平気な人もいるんだな。
もちろんこの人の偉業は大きな功績だと思うけど、こういうところは正直ちょっとダサいと思ってしまった。
私が長いこと働いていた職場はブランドのマーケティングチームで、その中にはプロダクトを企画開発する根っからの職人もいれば、ブランドの顔となる著名人を捕まえてくる専門の営業部隊、売上と予算とコストをマネージメントするファイナンス部隊、市場価格を決定する部隊、PRを生業とする部隊、店舗開発とマーチャンダイジング部隊など様々なジャンルの人がいた。その中には取引先の広告代理店から転職してくる人も少なくなく、その人たちが口々に言っていた転職の理由は異口同音、「商品作りに一から携わって自分の功績を残してみたい」の一言だった。広告代理店の仕事は結局クライアントの作品がメインだから、やってもやってもどこか達成感を感じられないことに対する空白感があるのだとか。
このボーダーの作品は本人のオリジナル作品で、今回の企画展のキービジュアルになっていた。権利の問題で企業作品をポスターにはできないだろうからオリジナルの作品を使わざる(作らざる)を得なかったのかもしれないけど、佐藤可士和さんにおいて「企業」という理由づけがないと作品が一人歩きして行くことはとても難しいことなんだと改めて気づかされる。または、佐藤可士和さんレベルになれば、私が出会ってきた代理店出身の人たちのような心のざわめきみたいなのはないのだろうか。
そんなことを聞いてみたいなと思って美術展を後にした。
ところでこの日はもう一件美術館をはしご。
銀座に移動して、石岡瑛子展に滑り込む。
本当は大回顧展に行きたかったのだけど、気づけばもう終わってた。先日青山で開催していた向田邦子展も知らない間に終わってた。惜しい展覧会を二つも見逃してしまい悔しい限り。
今回行った石岡瑛子展は銀座の小さなギャラリーでやっていた入場無料の小規模のもの。さっきの国立新美術館とは全く規模も異なるけれど、石岡瑛子さんの破壊力ははかなり衝撃的なものだった。
場内は石岡さんのインタビューの音声がずっと流れていてその内容もおもしろくつい聴き入ってしまう。一階にもその内容をテキストに起こしたパネルが展示されていて、小規模ながらも大変見応えのあるものだった。
「クリエイターがかっこいい職業だからやってみたいなんて思ったら長くは続かないわよ。すぐダメになるわね。そもそも私たちの仕事は常に見えない答えを探しにもがきあぐねるようなことの繰り返しなんだから」
(はっきりそう言ってたわけじゃなく、そんなようなことを言っていました)
それを聴いた時に、職業変われど村上春樹さんも米原万里さんもおんなじこと言ってたなあと思い出してものすごく心を打たれた。
石岡さんといえばポスターや映画の衣装という印象だったけれど、初期の頃は挿絵のイラスト作品も数多く残されていて、これがまた男性的というか、どこか「数学的な作品」だなと感じさせた。
示唆的でいて哲学的。
このコラムも読んでみたらそれなりにおもしろい。現代はインターネットの普及で雑誌を読まなくなってきたし、寄稿するコラムニストの記事というのも滅多に見かけなくなった。出版社が食いつなぐための手段として雑誌は食べ物に関する情報か企業広告を垂れ流すだけの読み物になってしまったけど、こういうコラムが読めるのっていいのにと思う。
それがもしかするとブログというものなのかもしれないけど。
石岡瑛子さんの当時の作品は本当に強い主張を感じるものが多い。
ちょっとぐらい融通がきかなくて頑固でわがままだけど、そこはかとない奥行きのような。
私が石岡瑛子さんの名前を知ったのは映画「落下の王国」という映画がきっかけだった。映像が美しくて本当に素晴らしい映画だった。衣装を石岡さんが担当していると知り誇りに思ったし、そういえばあの監督もずっとテレビコマーシャルの出身だと言っていたのでお互い気があったのかもしれない。そのあと石岡さんは別の映画でアカデミー衣装デザイン賞を取っていたのでてっきりアパレル出身の人なんだと思っていた。
強くて鋭い生き方に興味を持ち、悩んだ挙句石岡瑛子さんの人生を書いた分厚い本を買う。
ちょっと読んでみたけどすごくおもしろいのでグイグイ引き込まれる。
帰ろうとしたらたまたまギャラリーにこの著者の方がいらしていて、こんな偶然はないと思って本にサインをいただき少しお話もさせて頂いた。実際の石岡さんは男勝りなところもあり本の帯にあるように愛嬌のある方でもあったとのこと。この著者の方は石岡さんにとても気に入られていたようで、何度かインタビューをした頃の経験談も今回の展覧会の大きな骨子となっていた。
とてつもない満足感と清々しい思いでギャラリーを出ると、外はすっかり夜に。
帰り道、広告デザインの奥の深さをしみじみ考えながら歩く。
競争とコネの世界だし大変な重圧な職業だなと恐れ入るしかないのだけど、徹底したリサーチの集約が成功することはきっとこの上ない喜びと功績なんだろうと想像し、ただただ畏怖の念を抱きながら充実した気持ちになって帰途についた。
海外旅行にいけない分こうやって国内の美術館をまめにチェックして歩き回るというのもいいなと思ったから、今年はいろいろ歩き回ってみたい。
ちなみにこの日は桜田門から虎ノ門、六本木まで歩き(さすがにそのあとは電車に乗って)銀座まで移動し、トータル15km, 20,363歩、合計4.5時間歩いた。
まあとにかく近頃はどこまでも歩いてしまうけど、20,000歩超えはさすがに月に数回しかないのでこの日もよく歩いてぐっすり寝た。