「冒険者たち」1967年フランス ロベール・アンリコ監督 3人の男女の冒険+青春物語・・・っていうと何やらゴシップっぽい雰囲気がしますが、いいですよこれ。 ・マヌー(アラン・ドロン) 飛行機のパイロット ・ローラン(リノ・バンチュラ) 整備士/モーターエンジニア ・レティシア(ジョアンナ・シムカス) 創作アーティスト あーやばい。この映画って素敵なシーンがたくさんあるんです。どこから書こうかな。 友情や恋愛がミックスされたテーマの中で何が好き?と聞かれたら、文句なしにこれが一位ですね。 (あらすじ) 1. 凱旋門をくぐって賞金をゲットせよ(一部) マヌーとローランはすごい挑戦をしようと飛行練習に励んでいます。それはなんと凱旋門の間を飛行機でくぐりぬけるという破天荒な計画です。白昼、シャンゼリゼ通りを一直線に低空飛行し、いざ凱旋門の前に着いたかと思ったら、邪魔が入り計画は失敗に終わります。しかも免許まで剥奪されてしまいました。 (3人の出会い) 2. 海底に眠るお宝をゲットせよ(二部) 次に挑戦するは、コンゴ動乱の際にアフリカの海底に沈んだ戦闘機の中にあるお宝獲得作戦。 貯金をありったけはたいて実現させた個展(鉄くずアート)が、マスコミの誹謗中傷に打ちのめされすっかり落ち込んでいたレティシアを連れて3人は船での生活を過ごす。 (3人の生活) 3. フランスの田舎、レティシアの故郷にて/終焉(三部) お宝をゲットしたそれぞれが歩む道とは・・・。 (3人の結末) 3人の男女の冒険、友情、愛情溢れるストーリーですが、友情はしっかりと結びついてます(強い)。けれど愛情は、はかなくもすれ違っていくのです。でも一度も「ジュ・テーム」などというセリフは出てきません。愛情は空気で伝わります。そこがいいのです。 ■<マヌーが最初に彼女と無線で会話した時のセリフ。> 「ローラン、新しい秘書でも雇ったのかい?彼女の名前は?イボンヌ?フランソワーズ?」(上空からマヌー) 「レティシア。」(地上からレティシア) 「(口笛を吹いてから)異国的でロマンチックな名前だね。」 (※相手の名前の意味や言葉の響きをこんなふうに例える風習が日本にはないですね) ■<コンゴの海上で釣りをしながら> 「海は私の初恋の相手なの。」(レティシア) 「お宝を発見したら何を買うんだい?アトリエかなんかだろ?」(マヌー) 「私が育った田舎には海に囲まれた要塞みたいな場所がある。そこを改築して、波の中に漂っているみたいな気持ちで作品をつくるわ。」 「そんなところに1人でいたら寂しいだろう。俺も一緒に住んでもいいよ。」 「・・・あなたとローランの2人はいつでも大歓迎よ。」 □<その時、魚がくらいついた> 「すごい、でかいぞ!」 「・・・この魚も一人ぽっちで生きているのね。長い人生を。」 「孤独な哲学者だな。」 たまりません。 そしてレティシアが明るく言うんです。 「もう個展なんて開かないわ。」 これもたまりません。 黙って肩をたたきたくなる。 ■<コンゴの海上にて、夕暮れ> 「すばらしい夕陽だな。こんな美しいものは都会じゃビルに邪魔されて見えやしない。」(ローラン) 「ほんとね。」(レティシア) 「戻ったら何をするんだ?」 「・・・あなたと一緒に生きていきたい。」 このあと、突然悲劇が襲います。 ■<ラスト:要塞の上で> 「マヌー。彼女が最後に言ってたよ。」(ローラン) 「・・・(無言)。」(マヌー) 「お前と一緒に暮らしたいって。」 「嘘いうなよ。」 要塞を購入し、ホテルに改築したいと夢を語るローランをみて、マヌーは悟るんですよね。レティシアはローランを愛していたという事に。 でも2人の友情はそんなことでは崩れないんです。 メロドラマ?そんなロマンチックな展開じゃないしハリウッド的でもないので、観る人によっては退屈なのかもしれません。フランス映画のあの独特な空気が苦手な人はダメかも。 結果的には悲劇かもしれない。 もう戻ることもできない。 だけど心の中に大切な「過ぎ去りし思い出」があるって、素敵なことですね。 それをこの映画では 『大人の青春』 と呼びたい。 こういうふとしたワンシーンが妙に心に残る映画っていうのは、繰り返しみたくなるんです。 夜歩いている時とか、誰かの話を聞いている時とか。 ポンと湧いてくる。 そんな映画。