世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

モネの「かささぎ」

今日のお昼過ぎから、全くといっていいほど仕事が手につかない。
で、早めに帰ってきてしまった。

なんと4月に新国立美術館にて、モネの「大回顧展」が開かれることを知ってしまったからです。

近頃ずっと思い出してはバカみたいに感傷にふけっていたところに、ずばりです。

「かささぎ」 クロード・モネ

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モネをいいと思ったのはほんの数年前からで、
それまでは単なる印象派の1人に過ぎないとしか思っていませんでした。
でも見る目って、時間の経過と共にかわっていくのですね。

何度も行った美術館で何度も目にしたモネの「かささぎ」。
それがある日突然、とんでもないインパクトを持って現れた。


昔、ある語学学校で先生がこう言った。
「言葉とはなんだと思いますか?」

生徒はそれぞれ「人間にとって不可欠な手段(method)」と答えた。

確かにそうだなー。。でも、でもでも。
私はこう答えた。
「言葉とは単なる道具(tool)の一部に過ぎない」

コーヒーを飲むためにはお湯を注ぐポットがないといけない。
雨が降ったらそれをしのぐ傘がないといけない。
それと同じで気持ちを伝えるには・・・言葉がないといけない。(いけない??)
時に、それはすごく正しい。

でも気持ちは言葉に確実に還すことが出来るのかな。
あいにく私はそこまで表現が上手じゃないので、「言葉」というツールだけでは伝えきるのが難しい。
「嬉しい」を100回言葉にすると感動が壊れちゃうような気もするし、
「悲しい」を繰り返すと薄っぺらくなる気がする。

それよりかは、例えば一度だけのハグとか。

それだけで気持ちは何よりも強く伝えられるような気がする。100万回の言葉よりも。

つまり、この絵を表現するにはそういった薄っぺらい言葉では形容できません。
絵は残念ながら実際首に抱きついてはきませんが、それに近い感覚です。

心を探ります。
そして風を吹かせます。
さらに心の奥の、ずーっと奥の方にも進入してきます。


心を動かされるというコトは、いつもそこに転がっているありふれたものではなく、
ある日突然やってくる空気に感染しちゃうみたいなもので、
それはまさに奇跡的な偶然=感性の一致と言えるでしょう。


この絵は私にとってそういった強い風を、何年かぶりに吹かせたもの。

(だからこれがまた観れると思うと嬉しくてブログを更新し、書庫まで作っちゃったと言うわけです。)

感性は個人の所有物ですので、強要するつもりもありません。

では良い音楽聴いて寝ます。
おやすみなさい。