世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

雑記 444とプロパガンダ

どうも。

先日会社のオジサンと飲みに行ったら散々エロトークを聞かされたbeabeaです。

まあなんというか、そういうの慣れてますけどね。

 

 

 

 

 

先日夜中にふと目が覚めた。

時計を見たら、朝の4:44だった。

 

しばらくしてある日また夜中にふと目が覚めた。

時計を見たら、朝の4:44だった。

 

先日夢でうなされて目が覚めた。

時計を見てまた朝の4:44だったらさすがに怖かったし夢もちょっと恐ろしかったので、気持ちが落ち着くまで少し待ってから思いきって時計を見たら、朝の4:52だった。ということは、やっぱりさっき目覚めた時は限りなく朝の4:44に近かったということになる。

 

 

昨日仕事中にふと時計を見たら午後の4:44だった。

 

 

なんなんだこの「連鎖444」は。

もしかしてもうじき死ぬのかな。

 

それをイタリア人に言ったら444は欧州だとどうやら幸運をもたらすナンバーなんだとか。だからその日の仕事もうまくいくよと言ってくれたけど、結果は想像していたよりももっと悲惨な展開となりラッキーナンバーなんてこれっぽっちも慰めにならなかった。これはやはり444の呪いなのだろうか。

 

それだけじゃないけど近頃ちょっと悶々とし始めてきたのでここらでパーッとひとり旅したいなあと思うような時に思い出すのはいつもイスタンブールなのである。

 

 

 

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いつ行ってもムッとするような魚の生臭いにおいのするガラタ橋から見るモスクや海の向こうに浮かぶ太陽が不思議と郷愁を誘う。観光地はもう散々見まくったし、新しいイスタンブールを発見したいなあとも思うけど、東京やニューヨークじゃあるまいし日々アップデートすることはさほどなさそうだから、やはりいつものようにトラムが走る街並みを眺めながらチャイをすする程度になるだろう。

 

 

 しばらくはやっぱり海外行けないみたいだし、コロナが落ち着いたところでアジア人の私がのんきにふらりと観光にやってきたら、トルコやメキシコのような国は怖気付かないかどうか気になるところ。トランプも中国叩きするし、彼らから見たら中国人も日本人も見分けがつかないんだから、ある程度は気をつけないとならないかもしれない。

 

 

トランプといえば命をかけた選挙前にコロナになっちゃって一体なんのジョークなのと思う一方で、コロナの中国叩きをどこか同調した気持ちが自分にもあり、やはり彼がなぜ支持を集めたのかがなんとなくわかるような気がしてああこういうことかと思った。そしてそんな自分を戒めるように、村上春樹さんが先日ラジオで言っていたことを反芻する。

 

アドルフ・ヒトラーはかつて聴衆の心を捕らえるためのプロパガンダは常に感情に向けられるべきであり、分別に向けられるべきではない。いかなるプロパガンダも大衆的でなくてはならず、その知的水準は最も頭の悪い者の理解力に合わせなくてはならないと彼の著書で語っていたが、それはまるでどこかの大統領のようで、現在のSNSもこれに似た感情が少なからず混じっていることに危惧を感じている」

 

確かに感情ほど簡単にマインドコントロールしやすいものはないのかもしれない。パリでかつて起こったシャルル・リブドの襲撃事件だって表現の自由という名の暴力(ヘイト)でムスリム教徒を冒涜した大いなる差別だったわけだし、彼らの活動こそもまさにヒトラープロパガンダであり、おそらく多国籍文化の歴史ある国には根深い深層心理が潜在的に残っているんだろうと思った。

 

 

 

日々飛び交う溢れるような情報に安易に同調しないように。

自分とは異なる価値観を持つ人を受け入れる懐の深さを。

怒りのはけ口を他人に向けないように。

自分は自分でいればそれだけでいいということを忘れないように。

 

 

 

今朝もふと目が覚めたけど、もうすでにカーテン越しの空は明るくて、時計の針は6:03だった。

 

 

 

 

波の絵、波の話/稲越功一・村上春樹

どうも。

先日NHKアンネ・フランクのドキュメンタリーを観て暗い気持ちになった beabeaです。

アンネの日記」を買って読んだのは小学校6年生の時。

難しくて途中でギブアップした分厚いハードカバーは今でも倉庫の本棚に眠っています。

理解できるわけがないね、あの歳で。。

 

 

 

今回話したいのはこちらの本。

 

 

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これってもうだいぶ前に発刊された割と大きめのハードカバーで、なんと存在をつい最近知ってしまい古本で買いました。1984年に文藝春秋から発刊されたものです。当時は村上といえば講談社一本で、その後しばらくしてから新潮社に移りたまに春秋で発刊され、現在はほとんどがこの二社に絞られています。きっと担当者の方とウマが合うのでしょうね。

 

稲越さんのむちゃくちゃかっこいい写真と、村上さんの気を抜いた軽いタッチの文章がのんびりした浜辺の時間を彷彿させます。特出すべきことはなくとも脱力感溢れるなかなか素敵な写真集兼短編集でした。

 

当時の村上春樹といえばそれはもういまだかつて読んだことがない都会的な文体とセンスにあふれていて、今読んでも全く色褪せないみずみずしさがあります。しかも未読の本ということで、久しぶりにページを開く前のあの緊張感を噛み締めました。

 

 

こういう36年も前(マジか!)の文章を読んでいると、時間が止まったような錯覚になるというか結局のところ人は歳をとるのは見てくれだけで中身なんてほとんど変わらないような気がする。若さを保つことがいいという意味ではなく、心というのは自分が思っているほど前進していないのかもしれない。経験を積んで悟る境地はそれなりに出てくるだろうし大人になったら物分かりのいいフリをするのも必要だけど、その前進しないままの気持ちって実は自分の核なる部分なんじゃないのかな。そんな身勝手な気持ちがたまに顔だしてもいいんじゃないかって思う。それこそが個性なんじゃないかと。

 

 

そんなことはどこにも書いてないけどなんとなくそんな気持ちになるような本でした。

ずいぶんと昔の村上さんに出会えて楽しかったです。